1871_れれれレレレ深夜映画。
ある界隈では鮫が注目されているらしいですね。低予算で作られた映画というものの商売性と申しますかどこの層へ訴えかけているのであろうかなとかという疑問をまれによく感じてしまうわけでございますが、映像好きにはたまらないといいますか、ある意味怖いもの見たさで見てしまうという流れであるのでありましょうか、時間の無駄と揶揄されることがありそうではありますが、無駄を楽しんでいるのですよということなら、謳歌していていてよろしいのではなかろうかなとか、無駄話の権化がいうのではありませんという指摘を幻聴しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
音楽的には怖い感じですが、お話的には笑った方が良い場面だと思いますよ。いやどこに泣く要素がありましたかね?今日も元気可愛いですね。
最大にして最初から最後まで立ち塞がるものが予算である、とかなんとか言い切った巨匠がいたとかいないとか、どの界隈でもそれほど違わないのであろうかなとつまり作品の出来はどこまでお金を引っ張ってこれるのか、資源の確保という問題に集約されるのではなかろうかなとか。
才能のある役者や監督や演出や音楽家や撮影者や機材や諸々の環境やら熱意やらが大事であるということは確かではございますが、それを含めての資源であるのであるからして、やはりここを抑えることができるやり手がいなければ話にならないのであろうかな、とか、目立たないけれども大事な存在という感じなのであろうかなとか想像するわけでございますが、知る人ぞ知るという感じで名が売れている方もいそうではございますね。
それでそのような資源が集まらないけれども作りたいとなると、奇妙な映像が作られることになるのであろうかなとか、面白いか面白くないかでいうならば、大体は面白くないと判断するような、安っぽい何かになることが多そうではございますが、その中でもひかる、費用対効果の高い作品が生まれてしまう、ことはありそうではあります。
功罪としては安くても作れることを証明してしまったことでありましょうか、良しにせよ悪しきにせよ。斬新な手法で安く仕上げてしまった結果、それを繰り返すことになってしまったとか模倣することで、安易に作品を作り上げればよいのではなかろうかと言われてしまうようになってしまった、工夫次第で安価に収めることができるのではと錯覚してしまうような流れでありましょうか。
発想もまた資産であり、これは誰かが発表してしまうと価値が下がる部類のものであり、そしてそれを得るためにはある程度資源が資産が必要であるわけでございまして、簡単に手に入るものではない、ということを知らない、もしくはあえて気が付かないようにして振る舞ってしまう出資者というものが出てきたりするわけであるかなとか。
才能というものは目に見えるものではない、こともないわけでございますが、それが受け入れられるかどうかは、多分に環境依存でございまして、有体にいえば運の要素が強いわけでございまして、であるならば、その種は多くの人が常に発し続けなければ、日の目をみることが少なくなる、のかもしれず、しかしそれには、資源が足らない、からこその低予算映画の乱立、とかになる、のかもしれないなどと連想するわけでございまして。
ただこれは短期に使い潰すことにもなりかねず、寿命を縮めることになるのではなかろうかなとか、中の人だけではなく業界全体の衰退を招くような感じでありましょうか、それでも支えていくのであるという篤志な方々の存在が大事になるのかといいますと、これは大衆に娯楽を提供するという感覚から外れてしまうのでややよろしくない、となる場合もありそうでありまして。
つまるところ安価に素晴らしい映画が撮れるような環境が充実するならば、日の目を見る深夜映画も増えるのではなかろうかという、やや斜め上な発想を得たりするわけでございますが、いやまあ普通な思考の流れであるのであろうかなとか、あれやこれや考えてみますが、駄作かどうかは見る方が決めるとか言われると、それもそうですよね、と納得しかないわけで、まとめないままおしまいです。
「神話も映画仕立てにするとエンタメになるという話はありますね」
「わかりにくいものが良いという方も多そうではあります」
「もともと宗教はエンタメでは?”旦那様”
視聴者に解釈を丸投げするタイプの映像は趣味が分かれますな”奥様”」




