1869_わるさーぴーさんじゅうはち。
拳銃の名前はその使用者の代名詞になるのであろうかなとか、そういう時代は確かにあったはずではございますが、現在では廃れた伝統である可能性があるかもしれない、いやまあ、好きな人は好きなままであるであろうからして、それっぽい感じで伝統が残っているのでありましょうや、専門とか専用とかそのような機体とかに受け継げられているという、それも古い認識なのでありましょうかね?とかぼんやり連想しながら始まる今日のゴブリンでございます。
周期的に自分のものであるという行動をしていますが、それはみんなで使うものですので飽きたら返してくださいませんかね?今日も元気可愛いですね。
使い切りの兵器にも個性はあるのであろうかなとか、大陸の間を飛び交うようなものでも愛称をつけて、大事に扱ってしまっていて、使うことに躊躇するようになればそれはそれで安全にはなるのかなとか平和に一歩近づいたことになるのでありましょうか、であるならば、兵器を可愛く可憐にすることもやぶさかではない?
壊される、消費されることに罪悪感を感じるような姿形をしている武装であるならば、意外とどうにかなりそうな気がしますわけでございますが、それを使い手が望んで手に入れるかどうかとなると、これはまあ、ないのではなかろうかなとか、であるならば、法律やらなんやらで強制してしまえば良いのではなかろうかとか。
命乞いをする爆弾とか弾薬とか兵器とか、うるさくて鬱陶しくて使う気にもなれないとか、そのような流れはどうでありましょうかね、いやまあ、使い手が冷酷になるというかその手の状況が大好きになるような歪ませ方をした精神の持ち主に仕立ててしまうという、魔改造的な現状が訪れそうな気もいたしますが、地獄でしょうかね?
全て等しく弱兵であるならば平和なのではなかろうかなとか、戦闘行為に忌避感を持つようなものしかいない世界であるならば容易に侵略とかは発生しないのではなかろうかとか、いやまあ、本能的に暴力を好む性質が人間にはあるという致命的な問題があるかもしれないわけでございますが。
栄養を得るための闘争本能は否定しきれないものでございまして、そこをなくしてしまうと、種として生き残ることが難しくなる、と言いますか、いつものことではありますが、そういう感性の個体が結果として生き残ってきたわけでございまして、これを変質させるのはかなりの時間が必要となるのではなかろうかなとか。
結局のところ資源が乏しいということが全ての現況ではなかろうかなとか、使いきれないようなそれが簡単に手に入るならば、争いの種はなくなる、可能性が高いのではなかろうかな、いやさ、それでも比較して妬んで奪うような流れは変わらないのではないのではないかという予想も、悲観的ではあるものの、それほど珍しいものではないわけでございまして。
どうすれば平和が訪れるのか、それが成せるのか、そもそも平和の定義はなんであるのか、幸せを否定するような平和のあり方は認められるのであろうか、それが不快であるのに求めなければならないのか、本能を否定してしまっているのか、とかなんとかぐるぐると思考が回っていってしまう、ことも多そうであるかなとか、単純に考えれば良いのか、複雑に受け取ればいいのか、この辺りがやはり塩梅が難しいところであるのかなとか。
思考停止をどの段階でするのかが肝要なのであろうかなとか、どこかで実行していかなければ現状を変革することはできないわけでございまして、ただ動く前には計画を立ててよく考えなければならないこともまた確かではあり、環境状況歴史の推移を見極めて、しかし遅すぎず早すぎず適度な時期を見計らって、的確に何かをしなければならない、のでありましょうかね?
完璧を目指すと始められないのではなかろうかとか、いやさ目指すのは当たり前であるけれどもそれは完成しないことを前提としての行為ではなかろうかとか、進み続けることが大事なのであるとか、一旦立ち止まって落ち着いて、俯瞰して、地図を見ようとか、いろいろ言われているわけでございまして、それらは全て正しく、全て間違っている、いやまあ、その時と場合によるよね、とか言うしかない、あたりに、絶望を感じる人格もいたりするのであろうかなとか、まあそんな感じで終わります。
「ある時点で神様に投げてしまうしかないのが人なのですよね」
「考え続けることを最後まで続けて行動は他に任せると言うてもありますよ」
「強制的に思考停止する構造としては便利なんですよね宗教”旦那様”
思想家という生き物でありましょうかね?”奥様”」




