1862_かんかんのう、猫又ぎ、お葬式。
骸骨を使って踊ると多少表現が緩和される、のでしょうか。この辺りの線引きは、やはり内臓が見えているかどうかとか、赤い血が表現されているかどうかで変わるのでありましょうかとか、動く死体そのものは、それほど表現規制には引っかからないような印象がございますが、映像作品的には今どうなっているのでありましょうかね、とか、ぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
こう、それをはっきりと認識するには、まだ幼すぎるのではなかろうかという意見もございますが、分かる子には分かるのでありましょうかね?今日も元気可愛いですな。
死体をなんやかんやして弄ぶことは人の尊厳を脅かすことであるということで、かなりの文化圏で嫌われている、のでありますが、手順に沿って、文化的に、欠損させることはむしろ故人を尊ぶことになる地域とかもありますので、これまた一概には言えないわけでございます。
亡くなられた方の身体を操って、踊りを踊らせることが、悼むことになるという文化も、あったりしたりする、可能性もあるわけでございまして、そうであるならば、門外漢というか、第三者が文句を言うことはない、わけでございます、衛生面で少々問題がありそうではあるかなとかは、ありますが。
幻想的な空想的な魔法というようなものによって、動く死体を労働力にして使用している文化圏があるとすると、これはやはり倫理観が少しばかりずれているのであろうかなとか、想像するわけでございます。一つのいわゆる財産とみなされるわけでありますから、損壊的な事故事件での責任が強く問われる可能性がありそうではあります。
縫い合わせればとりあえず動くのであるならば、これは綺麗に切り裂かれたり、首を落とされたりする亡くなり方が上々であるとか評価されるのでありましょうかね、老衰とかで筋力が少なくなったり、骨が脆くなってしまったそれは、価値が下がるのであるならば、ころり往生、しかもそこそこ肉付きが良い時期に、が狙い目となる、のでありましょうか。
賃金の必要がない労働力という点に注目するならば、繁殖後、余剰人数を積極的に綺麗に処理して、資源に変換することが効率的である、みたいな流れになったりするのでありましょうか、維持管理にどれだけの資源がかかるかの、均衡を取るようなものになりそうではございますが、いやまあ、倫理観がどれだけずれているのかという話でもありそうではございます。
人権とかがかなり無視されてしまいそうではございますね、何しろ、亡くなった方が価値が高くなるという環境であるならば、これは積極的に活用するべきではなかろうかと、なりそうではあります、ある意味省資源化が促進されるわけでありますから、それに端を発する戦争などは少なくなりそうではあります。
人的というか、人肉的資源を求めて、侵攻するという話はありそうではありますが、この辺り、綺麗な死体を求めていくわけでありますから、毒物兵器とかが発達しそうではございます。もしくは、刺突系の武具やら飛び道具でありましょうか、こう、貫通力が強い系であるかなとか。
逆に燃焼系やら、爆発系やら、質量系の兵器は忌避される傾向にある、のであろうかなとか、こう、資源がもったいないので、ある意味綺麗な戦場になる可能性が高そうな気がしますが、一般市民への被害はかなりえぐいものにはなりそうであります、こう、毒物系兵器の大規模化みたいな感じでしょうか。
ただ、毒物が残留しすぎると、今度は手早く動く死体化できないわけでありますし、その結果腐敗してしまい資源としての旨味が消失する、可能性があったりするわけでありますから、できるだけ毒性が無くなるようにする工夫も必要であったりするのでありましょうかね、とか。
ああ、互いに殲滅戦を目指してしまう場合も多そうですので、結構早めに文明が崩壊しそうではありますね、などと連想を発散させながら、おしまいです。
「あの世がある世界観では、結構激しく抵抗しそうではありますね」
「別に人間じゃなくて、動物の死体を動かしてもいいんじゃないかなぁ?」
「神の身元にいけないという発想が無くなるかもしれませんな”旦那様”
馬とか運搬や農耕用に便利そうではありますな”奥様”」




