1859_とぅっす、が挨拶な前歯。
首を刈るという言葉に連想される生き物が兎という世界線ではあるのであろうかなとか、大元の伝承とか探すならば、西洋の、騎士物語か、その前の民話神話あたりに端を発していそうではありますが、別に興味はそれほどないわけでございますので、むしろ仮説を立てつつ無駄話の種にすることによって、役に立てようという心算のまま始めようとして、いやまあ、明後日の方向に行くのだろうな、という予想もまた同時に立ててしまう、今日のゴブリンでございます。
兎を飼いたいというお子様も多そうではありますが、あれはあれで、結構危険な動物だそうでございまして、後ろ足が強過ぎるのでしょうかね?いやまあ、うちのお子様なら、別の意味で危険かもしれませんが。今日も元気可愛いですな。
野生の兎が生息している地域というものは実はそれほど広くないのではなかろうかなという予想はあるわけでございまして、少なくとも砂漠にはいなさそうではあるかなとか岩場とか海岸にもいなさそうではありますし、印象としては森の中とか平原で見かけるのではなかろうかとか、想像するわけでございます。
四肢の様相も実は結構変わっているのではなかろうかなというか、意外と珍しい構造をしているのではなかろうかなとか、跳ねることによって移動するような生き物は、不自然ではなかろうかとか、交互に足を踏み出すことによって移動する方が、速いのではなかろうかなとか、想像するわけでございますが、何をもってしてあのように変質したのであろうかなとか、予想してみるわけでございます。
同時に後ろ足を蹴って、前に進み、前足で、次の動作までの支えと言いますか、姿勢を、地につけることで維持し、さらに回転した後ろ足、振り子のように空中で戻ったそれで、また、蹴りつけるような、循環を行うことで、高速に移動する、やり口であるのであろうかなとか、均衡を保ちながら高速にもっていくやり口なのであろうかなとか、想像するわけでございます。
瞬間的な加速度を上げるように変化していったのであろうかなとか、後ろ足の構造でございますが、最高速に達するまでがはやい個体であるからこそ、捕食者から逃亡が可能になったとかそのような感じであったのであろうかなとか、しかしあの機構は、発端はどこにあったのであろうかなとか。
ねずみのような姿であったのであろうかなとか、いやまあそれでも左右交互に足を踏み出した移動の方が、重心を維持しやすく移動しやすいのではなかろうかなという予想はあるわけでございます、こうつかれなくて済むのではないのでなかろうかなとか、想像するわけでございます。
それが、どうして、後ろ足を同時に踏み出す、蹴り出すようになったのであろうかなとか、予想するに、最初は、やはり遊びであったのであろうかなとか、予想してみるわけでございます、こう、明確な理由が、ないのではなかろうかなとか、足を揃えて、跳びあがるとか、非効率な動きのように思えるわけでございまして。
いやさ、そのような印象があるのは、二足歩行で長く生活しているからであるのかもしれないとか、四つ足歩行、走行であるならば、前後の足をそれぞれ同時に動かして、走るやり口はそれほど珍しいものではなく、むしろ、高速移動の鉄板機動ではなかったのではなかろうかなとか、想像するわけでございまして。
長距離移動には向かないけれども、短距離最速の姿勢であることは、それほど間違ってはいないわけでございまして、であるならば、生活圏が意外と狭いからこその、兎跳びであったのではなかろうかなとか、予想ができるわけでございます、ただ、それにしても、やはり特異過ぎる軌道ではなかろうかな、とか。
骨格やら筋肉のつき方やらを観察しても、これは、足を交互に出して進むという歩行に向かない、ように思えるわけでございまして、短距離速度、もしくは機動、特化型の機体である、のではなかろうかなとか、副産物として、高く飛ぶこともできるようにはなっている、のであろうかなとか、その跳躍力、人の頭まで達するような動きを見たが故に、首刈兎という印象が生まれた、のであろうかなとか、いやまあ、そのようにぼんやり、仮説を立てたあたりで、おしまいです。
「ウサギ姿の神様はいそうな気がしますね」
「生き物としてはちょっと歪な感じがしますが、そうでもないのでしょうかね?」
「因幡の白兎がそれっぽい気がしますな”旦那様”
絶滅の恐れがあったりするのでしょうか?”奥様”」




