1854_髷を結う、髪を剃る、むれムレ。
要は兜の中で蒸れて不快であることを防ぐための髪型であったものが、風俗として独立したとかなんとかであるのであろうかなとか、月代、さかやき、とか変わった髪型であるかな、けれども、これはこれでその時代には普通であったのであろうかなとか、年代を超えて価値観を語ることは気をつけなければならない事例ではあるかなとかぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
その行為も年月を重ねれば歴史とか文化とかになるのかもしれませんが、今はただただ汚れるだけでございますのでおやめください。今日も元気可愛いですな。
受け継いでいくならばそれは伝統になり、文化として定着し、価値観が同じように長く続くのであろうかなとか、それが長く続く理由はそれほど大きくなく、先代がそうしていたので、今代も続けるというような、消極的なものである場合が多そうではあるかとか、変化には資源の消費が伴うわけであるからして、変わる方の労力が大きいのであるなら、それは変わらないわけでありまして。
利益に紐づいた価値観は変化し辛く、それはつまりは既得権益とか呼ばれたりするものであるけれども、仕事を守る、生活を守るという側面で見る限り、正しい流れもでもある、のかもしれない、この場合も状況やら環境やらによるのであろうかなとか、徐々に不具合が修正されていくのかもしれないとか。
根本のところに近い風習は変化し辛いというものはありそうでございまして、生き死に関わる文化とかは、価値観があまり変化しない、場合もありそうではございます。最も統計がきっちりと取れるようになってからは、命が重くなったとかそのような流れができやすくなった、のではなかろうかなとも予想できるわけでございますが。
一度減るとそれを戻すことが難しいということが判明してからは、命の重さが増したと申しますか、可視化されることで意識にのぼりやすくなった、のではなかろうかなとか予想するわけでございまして、この辺り学習の勝利であると言えるのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
人口が増え続けている地域ではやはり人の命は軽いのか、と申しますと、一概にもそうは言えないわけでございまして、ただ、感情による組織の構築要請が強い、のかもしれない、とは予想できるわけでございます。かわいそうなので生かすという流れでございましょうか。
自分か苦しくないように生きるためには、人にもそうさせてはいけない、という流れしかない社会と、客観的にみて、資源として、迂闊に減少させてはいけないだろうな、という意識も併せ持つ社会、後者の方が強度的には強いのではなかろうかなとか予想するわけでございますが、相互に補強し合うのが適切なのかもしれません。とか想像するわけでございます。
しかし大量の資源を消費、もしくは浪費する可能性があるので、それを成そうとする人格を取り除くことが必ずしも良い結果を導き出すかどうかと言われると、それの評価は、なされたずっと後に遡ってしなければ分からないとしか言えないのではなかろうかなとか、手探りでやっていくしかない現状はありそうでございます。
精度の高い未来予測やらができるようになったのであったり、明らかに見えるような排除対象が判明したり、する場合もありそうではございますが、回り回ってどうなるのかが、分からないということも同時に判明してしまうとすると、これは行動そのものを阻害してしまい、手遅れ案件を生み出す要因となってしまう、可能性もありそうではございます。
つまるところできるだけ考えて、行動する必要があるのであるけれども、時間制限があるように見えるので、適当なところで見切ってみる必要があり、その塩梅とかをどうにかする技術を磨いていき、受け継いでいく、学習環境の整備が必須であったりする、のであろうかなとか、ぼんやり想像するわけでございます。
後悔は結構するとは思いますが、それも学習対象として昇華させるように、状況やら環境やらを整えたらいいんだろうなぁ、とか無責任に思ったあたりでおしまいです。
「時代を超えた価値観を予想して、神様を語らせる、ことが理想ではあります」
「数字にしましょう。それが当面やりやすい客観視です」
「2000年先の未来を見据えた宗教ではなかったのでしょうな”旦那様”
その数字を騙すために利用する方も多そうではあります”奥様”」




