1851_パラッパラッパのパラパラ焼きご飯。
流行は廃れるものであるとするならば、そうならなかったものが伝統とか呼ばれるのであろうかなとか、かなり運の要素が絡んでくるのであろうかとか、いやまあ、運だのみで、残ったというと語弊があるような文化は多そうではあるかなとか、やはり残るには残るなりの理由とか理屈とかがつけられるかもしれない、結果から遡っているだけという場合もあるかな?なのどとぼんやり思考するあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
より原始的な方が残りやすいのでしょうかね?幼児の落書きみたいなものでしょうか?いえ前衛的で素晴らしいですね、場所を選んでくださるとなお良しですが。今日も元気可愛いですな。
一過性で終わるものと、長く続くものにどのような違いがあるのであろうかというならば、やはり、本質的なもの、抽象的なものであるかどうかということであるのではなかろうかなとか、具体的なものほど、そして枝葉末節で目立つものほど、残らない、印象がございます。
細かな規約が最初からあるようなものは、残りにくいということであるのであろうかなとか、大まかで大らかで、適当で楽しげなものがやはり民間に浸透していく、のであろうかなとか、そしてある程度根付いたあたりで、細やかな仕様が決定されて、本格化する、別格となる?の流れなのかもしれないと。
多様性と言いますか、つまりは色々な楽しみ方ができますよという流れも大事ではあるのであろうかなとか、間口が広いものの方が流行を長続きさせやすい、手軽というものは、簡単すぎると飽きられるとか言われることもありますが、大切な要素ではあるのではなかろうかとか。
とっつきやすいけれども奥が深く、ある程度、運の要素が絡んでくるので、飽きが来ない、腕前は多少要素として絡んでくるけれども、負け続けることはない、くらいのものがやはり流行るのではなかろうかなとか、勝負事ではありませんが、出来を競うという、品評する?ような舞台はあった方が、熱意を誘導できる、のかもしれません。
長年続いてきたものの延長にあるのも要素のうちなのかもしれません、あと、極端に肉体性能に影響される、連なるようなものは、避けられる傾向があるのではなかろうかな、とか、極める人を眺める、鑑賞する方向へふると、生き残る目が増えてくる、可能性はありそうではありますが。競技へと力を入れすぎると、それ以外の楽しみをもつ方々を振り落としてしまう可能性があるわけでございますれば。
囲い込みをわけてしまうことができるような、程度で、関わりを、距離ととるような仕組みを作ることができれば、まあ、成功に近づくのかもしれないとか予想するわけでございます。もちろん、たの囲いに飛び込むことも可能としなければ、流動性が失われて、衰退の原因になってしまう、かもしれないわけですが。
全く新しい概念での流行を作ることは、これは難しいのではなかろうかなと予想するわけでございます。発想すらできないような、考えを広く知らしめるという困難さがつきまとうわけでございまして、ただ、それはそれで、面白い、やりがいのある挑戦であるとする方も、おられそうではございます。
どこまでも平均を極めることができるのか選手権とかどうでしょうか?すでにどこかでありそうではありますが、目立たない、印象に残らないことを、競うわけでございまして、ある業界では優秀さを示すような能力やら才能ではありそうでございますが、社交術の一つとして競技にできそうではあるわけでございます。
発言やら表現やら、一定数の回数と、強度を保ちつつ、最後まで印象に残らないようにする技術を競うわけでございまして、影の薄さを比べるような、悪目立ちもしない、平凡さを武器に戦うような競技とか、いやまあ、日常生活で有効に有用に活用してそうではありますね。などと、ぼんやりと連想を発散させつつ、おしまいです。
「こう無害で無欲で無関心なただいるだけの神様とかどうでしょう?」
「マルチゲームで目立たないは必須の才能だとは思うのですよ」
「意味のないところに意味があるタイプですな、すでにいそうです”旦那様”
裏切るのは効果的な場面に一度だけ、定番ですな”奥様”」




