1850_とぺ、かとう、さとう、しおしおのぱ。
満点を取らなければ評価されない現場というものは緊張感がありすぎるのではなかろうかとか、難易度にもよるかもしれないけれども、追い込みすぎると逆効果ではあるかなとか、そもそも基準に満たなければ危険であるなら、余裕を持った実力が必要になるだけでは、とか、まあ、環境が悪いというか準備が足りない状況を被験者に負担させている、気もしなくはない、とかぼんやり連想しながら始まる今日のゴブリンでございます。
評価基準が甘いので、基本満点にしかならない、という状況はあるのかもしれないですね。幼児関係であるならば、なおさら?今日も元気可愛いですね。
何重にも確認していく仕組みがあったとしても、それはあまり役に立ってない場合が見られるのは、人力に依存しているからであるのであろうかなとか、前の方が良いとしたならば、後ろの方も良いとなる、みたいな感じでありましょうか、調査する内容を変化させる、定量化させる仕組みが必要になるのであろうな、とか、想像するわけでございます。
単純に数を数えるということを徹底すればよろしいのではなかろうかという話ではないのか、とか、そもそも確認する方を失敗するとどうしようもないわけでございまして、ここは機械的に楽をすることを覚えた方がよろしいのではなかろうか、などと、具体的には発信機で管理する、方向性でございましょうか。
安全と、管理は相反する事象である、ことが多そうなのではなかろうかなとは、想像できるわけでございますが、自己判断と申しますか、危機管理という意識が薄い、または無い年齢層には有効ではなかろうかと、さらにいうならば、事故を防ぐためにもそれは体内に埋め込んでおくべきであるかなとか。
技術的には可能あるわけでございますが、それをするためには社会的な合意を得ていかなければならないわけでございまして、自己責任で、発信器を付けてないならば安全は保証できませんよ、という雰囲気が、綺麗にできていなければならない、のであろうかなとか。
管理される側の意識をしっかりと定めなければならない、のかもしれませんが、それはそれで、行きすぎた管理に繋がるのではという心配が生まれることは、自然な流れであり、つまるところどこで妥協するのか?という話になるのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
いつの間にか共通認識が変化していったくらいが、成功なのであろうかなとは、これまた予想するわけでございまして、変革が軋轢なきまま完了するには、長い時間をかけるか、何かのきっかけで、常識をひっくり返すか、して、そのまま定着させる必要がある、のかもしれない、と、想像するわけでございます。
悲惨な事故やら事件やらが、劇的な変革点になる、場合もありそうであり、実際に観測されるものではありますが、全てが全て、定着するわけでも無いわけでございまして、この辺りの差は、習慣になるかどうか、それが、何者かの利益になるかどうか、そして負担の増加が認められるかどうか、あたりが複合的に関与していくのであろうなあ、と、つまりは大体は運が絡んでくる、のではなかろうか。
保護する対象が希少であればあるほど、他の不具合は黙認される可能性が高くなるわけでございまして、ある意味多数派の不利が発生する、流れにはなるわけでございますが、民主主義である社会体制であるならば、不利益を許容すべき多数派が有利に働く流れにもなるわけで、ここで歪みが生じる、とみることもできるわけでございまして。
多数派が、少数派を希少なものであると認識して保護する流れをどう作るのか、という話にはなりそうであり、つまりは、庇護を求められるくらい、可憐なとかか弱い、とか、可愛い、とか、そのような魅力を作り出さなければならない、のではなかろうかな、と、少数派が醜ければ、誰も助けてくれない、可能性があるのであるなぁと、思い至り、そこを是正するのが管理者側の働きでは、とか、ぼんやり連想しつつ、おしまいです。
「弱いものを守ることで徳がつめるとする宗教は多そうですね」
「醜さは、ある瞬間に愛しさに変わる、場合もありそうではあります」
「最初、自らが弱かったですからね、宗教は”旦那様”
無関心よりは、虐げられた方が良い、場合もある?”奥様”」




