1846_ばーすくーふーりん、入浴?
たっぷりのお湯に浸かることは身体と精神に良い影響を与える、のでありましょうね。ゆっくりと、心身ともに弛緩させて、芯から温まる、これは至福の時間であるという、お話でございまして。一方で、入浴は悪癖であり、体に悪いとされていた地域とか時代もあったということでありまして、この辺り、文化の差異が面白いのであるな、とかぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
面倒臭いので嫌だという言い分が、子供にはあるのでありましょうかね?水遊びの延長として捉えて仕舞えば、ずいぶんそそのかすのは楽ではありそうではございますが。今日も元気可愛いですな。
温泉という文化もあったりするわけでございますが、隠し湯とかの伝説を持ち出すまでもなく、地域によっては、それは秘匿する価値が見出されるほど、良きものであった、わけでございまして、この辺り、資源の消費に比例しているのであろうかな、とか、ただより安いものはない、そのような発想でございましょうか。
燃料が容易く手に入るならば、お風呂文化は広く蔓延していったのではなかろうかなとか、つまるところそこが一番の問題であったのかもしれないとか。いやまあ、入浴にかける熱意が違うのであるよという話もあるかもしれないわけでございますが、贅沢である、から宗教的なあれこれで禁止された、流れもありそうではございます。
強欲であることの象徴とかされた、のかもしれない、わけでございますが、そこらあたりから、暖かいお湯に長く浸かることは体に悪いとかの噂になったり、妙な理由づけをされたり、したのではなかろうかな、とか、実際には、こまめに体を洗うのは、清潔を保つために丁度良く、人口が密集する都市国家の、安全度を高めることにつながっていた、可能性はありそうであります。
ただ、性産業とのつながりやら、性習慣の野放図さを後押しするような、入浴体系があったりしたりすると、別の問題が湧き上がってくるわけでございまして。清潔にしても、感染症が蔓延する、下地ができてしまっている、ような流れになってしまっている場合もあるわけでございまして、注意が必要であるのであろうかな、とか。
これは大衆浴場の運営方法を転換させれば、良いわけでございまして、容易とはいかないまでも対処できる範囲ではあるのであろうかなとか、そうとは言っても、最初からそのようにさせないように、接触を避けるような仕組みを組んでいなければ、途中で変更することは難しい、かもしれないという予想はできるわけでございまして。
姦淫かその辺りの禁止事項も引っ張ってくるので、公衆浴場が廃れた可能性はありそうでございまして、であるならば、内風呂と申しますか、狭い関係性で使用できる小さめな、家族風呂とかが、発達した、地域と、すっぱりと入浴という習慣を諦めてしまった地域が生まれた、のかもしれないとか、予想するわけでございます。
文化的背景で、生活習慣が分岐してしまうことは、これはそれほど珍しくはなく、むしろ、科学的な根拠を無理やり引っ付けてしまって、それを補強するような流れになる、場合も多そうではあるかなとか。習慣的なあれこれに法則を見出して、賢くなったような気になって、他にも当てはめてみる、とか、むしろ呪術に近い、性質の悪い、因襲の部類に振り回されてしまっていた、と、振り返ってみることもできそうではあります。
客観的な情報、統計、観察調査、根拠の発見やらが行われるようになっても、古くからの慣習はなかなかに変化せず、それは、学力の底上げ、学習機会の平等化が進んでいなかったからが原因でもありそうではありますが、やはり変化を厭う流れが、根底にあるのであろうかな、とか。
その辺りをいじっていくことによって、非効率を避けられる社会になっていくのではなかろうか、とか、いやまあ、すぐに変わらないことによる、構造の安定維持もあるかな、とか、色々と、連想を発散させたところで、おしまいです。
「別に神は入浴を悪としたことはないはずですね」
「急激な温度変化には気を付ける必要はあります」
「基本、人の都合で神は使われることが多いですな”旦那様”
サウナって身体に悪いはずなのですが、なくなりませんな”奥様”」




