1845_使いづらい、否ユニバース。
誰にとっても使いづらい道具が生き残る目はどこかにあるのでありましょうか、とかふと脳裏によぎりますが、なかなか目的に到達しないと言うことが、目的であるならば存在を許されると申しますか、むしろ有益であるわけでございまして、時間を稼ぐためにわざと非効率にしてる道具とかはありそうではあるかな、とかぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
必ず汚れるのであるならば、できるだけその時間を遅くしようとして、使われるようなおもちゃは、確かにありそうではありますね。今日も元気可愛いですな。
非効率を求める状況は実はそれほど珍しくはなく、つまりは、暇を作らないことが肝要であるような環境である、のではなかろうかなとか、余計なことをさせないようにするための工夫と言えなくもないわけでございますが、総合的にみるとやはり資源の無駄ではなかろうかと言う話にはなりそうではございます。
ただ、余計な自発的な作業やら行動を抑制することによって、結果的に資源浪費の削減につながることはありそうではあるわけでございまして、この辺り一概に無駄しかないものに価値を見いだないとは言えない、かもしれない、とか連想するわけでございます。
ただこれは学習が十分に行われていないからこそ発生する事案でございまして、これがなされているのであるならば、効率的に全てを循環させることができる、可能性はありそうではございます。かなり理想的ではありますので、実現には相応の時間とか資源が必要になる、ことも確かそうではございます。
急激な効率化が不幸を招く要因がこれでございまして、余暇が発生すると、余分な資源消費が増える、ことによって全体に歪みが生じると言うことでございまして、この辺り、時間の使い方を学ばせつつ余裕を作る必要がある、のではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
一方で、自由な発想のもと、資源を使わせて遊ばせることで得られる知見やら、発見やら、出会いやら、直感やらもまた存在することは確からしい、わけでございますので、この辺り、塩梅の調節が必要になるのであろうかなとも予想するわけでございますが、同時にそれは意図してはやれない部分でもあるのではなかろうかなとも想像するわけでございます。
少なくともかなり制御するには難しい案件であろうなぁとは、容易に想像できる範囲でございまして、むしろそれができるのであるとするならば、そのやり口を多く広く知らしめて、自己管理で行わせるようにすれば良いのでございまして、それができないからこその、工夫としての思考誘導であるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
完璧にすることは無理である、これもまた確かではあるわけでございまして、であるけれども、それを目指すことは無意味ではない、これもまた確かではなかろうかなとか想像するわけでございます。導くと言いますと大上段に構え過ぎていると申しまか、傲っているような印象ではございますが、その意識で持ってして、先に行っている方々が、学習させる、これは、結構重要な流れではなかろうかなとか。
往々にして先に進んでいる、もしくは変質してしまっている方々は、自分自身だけで、もしくは少ない身内だけで満足してしまっているわけでございまして、なので社会への変革というものに興味がなく、結果として、構造があまり大きく変化しないわけであります。
ただ、それは本当に多数を幸せにするのかと言いますと、そうではない可能性も多そうではありまして、自分はこれで幸せになれるけれども、万人には向かないということも同時に知ってしまったが故の、非干渉である、場合もありそうではあるかなとか、であればこそ、関わるのであるならば、かなり手を抜いた、丸い行動になることが多かったりするわけで、それが歯痒いと感じる方も、多いのではなかろうかなとか、はい、いつもの通り連想が発散してきたので、おしまいです。
「神は先鋭化した発想を鈍化させたシンボルなのかもしれませんね」
「鋭さを受け入れられる下地を作ることが王道なのではないかな?」
「だから比較的にうまく行っていないのでしょうな、宗教とか”旦那様”
センスを磨かせる学習は難しそうではあります”奥様”」




