1833_ぽう、が踊りの入りになる、珍。
死霊の盆踊りという言葉の方が先に出てしまう、偏った趣味をしている気がするわけでございますが、安心してください、自覚していますよ。それはそれで、確信犯であり問題があるのではありそうではありますが。いささか誤用ですね。同じ阿呆なら踊らにゃそんそん、とか囃子言葉にあるようでございますが、資源の浪費を考えると、行動しない方が得なのでは、とか捻った発想をしたところで、始まる今日のゴブリンでございます。
無駄に動くよりは、踊っている方が、特な感じはしますな。いや、駄々をこねているだけですか?軽快な足取りですが。今日も元気可愛いですね。
大規模な感染症が蔓延している中で、集団で踊り騒ぐことは、自殺行為ではなかろうかなという意見は、それほどおかしいものではないわけでございまして、感染症対策を十分にすれば大丈夫という反論もございますが、いやまあ、観察するに、結構すり抜けている、というか、個々人の認識が甘い、ような気がいたします。
集団心理と申しますか、みんながそうしているのであるから、正しいのであろうという流れが、あまり良くない方向へと進んでいる事例ではなかろうかなとか、運動をするときには口元を覆うと疲労が激しいので外しましょう、は、十分な距離が取られており、大声を出さないという前提があるから、何ですよ、という前提なのですが、ゆるりとぬるりと、抜けている、ように観察できるわけでございまして。
もちろん、演技前後での密状況での気の緩みというものも、これはあるのであろうかなとか、踊っている間は外しても良いのであるから、これもその延長であろう、という流れというか、怠惰、惰性、その手の感情が、場を支配してしまったわけでございまして、特別である、から許される、という風潮が生まれてしまったことが、感染拡大を助長してしまった、のではなかろうかなとか予想するわけでございます。
しかし経済は回していかなければ、別の原因で人が死ぬ、という話もわからなくはないわけでございますが、少なくとも感染症と付き合っていけるだけの心構えと申しますか、社会構造が未だ構築ならずな時節に、迂闊な行為であったのではなかろうかなという、想像はできるわけでございます。
医療機関への負担だけが増してしまっているわけでございまして、そこの対策を十分にせずに経済を回そうとすると、致命的な不具合を発生させることになり、大規模に、構造的に破滅へと突き進むことになる、のではなかろうかな、とか、あまり想像はしたくないのではございますが、天災が重なると、あっけなく終わりを迎えそう予想も立つわけでございまして。
大規模、広範囲での、地震災害が発生した場合、おそらく相当数の被害者が発生し、人口がかなり減ってしまう、のではなかろうかなと。それこそ社会維持ができなくなるほどに、減少してしまう、可能性もありそうではあるかなとか、想像するわけでございまして、悲観がすぎるとはいえ、天災はこちらの都合を考えてはくれないわけでございますれば。
この状況で、世情の不安定さも追い討ちをかけていくわけでございまして、理不尽というか、意味不明な侵攻による世界経済の不安定化が、潜在的な、ではないですね、顕在的な、破滅要素として認識できているわけでございまして、すでに、世界的に戦時下であるという、発想で、行動するべきではなかろうかなとか、連想するわけでございます。
とはいえ、徐々に徐々に、良い方向に向かっている、という希望を持つことも、刹那的になり破壊的になることを防ぐために必要なことでございますれば、この辺り、行政の舵取りがかなり重要になっていく、のであろうかなとか、普通に予想できるわけでございまして。
慌てず騒がず、的確に着実に、ゆっくりとでもよろしいので、改善していくと、良いのではないかなぁとか、まあ、間に合わないところも出てくるだろうなぁ、とか、結構諦観しながら、おしまいです。
「神の御心のままに、とか言っておけば安心感が増しますよ?」
「複数回、3度以上のワクチン接種率を上げること、まずはそれからでは?」
「良い思考停止かもしれません、時期になるよりは”旦那様”
演者観客含めて全てそうであれば開催、ですね”奥様”」




