1828_禁じられた、アソビン教授。
唐突に、連想されて思い浮かぶ単語をどう処理していけば良いのか、悩んだり悩まなかったりする今日この頃でございますが、それが何であったのかすら思い出せないままに固有名詞が出てくると、なんとも寂しい気分にさせられるような流れになり、ある意味風流な気がしないでもない、わけでございますが、いや、いつにも増して意味不明なつかみであることは自覚している、ような、そうでもないような、今日はお元気ですか、ゴブリンです。
唱えてみると気持ち良い、固有名詞というものは結構あるんじゃないかなとか、いやしかし、昔の有名人名を連呼するのはどういった理屈なのでありましょうか?子供だからしかたない、のでしょうかね?今日も元気可愛いですね。
名前の連呼というものは、選挙活動の基本であるようでございまして、とりあえず、そこに存在しているというところから始めなければならない、わけであるようでございまして、この辺り、やり口の改革、その隙間が大きくあるような気がするわけでございますが。
例えば、義務として、政治家やら政策、現状の知識をある程度学習しておかなければならないという決まりを作るというのはどうであろうかなとか、いやまあ、本来であるならば、それは強制されるものではなく、自主的にやらなければならないものであるはずであるわけでございますが、そうでない方も多いわけでございまして、こう、講習会とか、大人免許みたいな、運転免許の更新のような感じで、定期的に行う必要があるんじゃなかろうかなとか。
それは手間はかかるでありましょうが、それをしないことによる、不利益を考えると、実は長い目でみるとかなりお得なのではなかろうかなとか、この、大人免許制度というものですが。何を持ってして大人となすのか、成人とみなすのかの、基準を決めるところが難しそうではありますが。
基本的な法律に沿って判断できるかどうかという、これはまあ、書面だけでも良いのではないですかね、とか、試験はあってもよさそうではございます。合格すると、各種補助が受けられるようになるというか、特権が解放させる、みたいなものであるのではなかろうかなとか、いやまあ、主義信条に踏み込む内容があるかもしれないという不安はあるわけではございますが。
道徳教育の強制にならないようにするためには、価値観の更新と申しますか、共通認識の測定やら評価やらが必要になるのであろうかなとか、体制の維持が目的になるかもしれないわけではございますが、基本的な人権やら、表現の自由やらとどう折り合いをつけていくのか、は、どちらにせよ、これからも考えていかなければならないことであるわけでございますし。
ある意味犯罪歴がないということが、大人免許の代わりになっている可能性はあるわけでございまして、真っ当に生きていますよ、の証明であるわけでございますが、これはまあ、言わなくとも分かりますが、予防にはなりにくく、一度ことが発生した場合の、処理資源の消費が、高くなりがちであるわけでございまして。
何事も、発生してから対処するよりは、それが起こりにくくなるように環境を整える方が、安いことが多い、のではなかろうかなとか、予想するわけでございます。が一方で、全てのことに広く対策するよりは、何か問題が発生する都度に、対応をして行って、それを前例として構造を改変した方が、効率が良いということもあるわけでございまして、毎度のことながら、一概には言えないわけでございます。
結構最初は、冗談で初めてもいいのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして、大人免許、民間団体が、それっぽい試験をしてみて、交付するわけでありますね、で、これまた、ちょっとした特典がつく、みたいな感じです。利益は、定期的な、毎年でしょうかね?少ない額の更新料とか、講習会費とかで賄うわけでございまして。
緩い、同好会のような感じでしょうか、大人倶楽部とか?既にありそうな気がしますな。などという妄想を語ったあたりでおしまいです。
「宗教団体が成人の保証をしたりしそうではありますね」
「年齢だけで区切るのは、確かに不合理ではあります」
「後ろ盾、とか、けつもちとかいうと不穏当な気配ですがな”旦那様”
免許制、恣意的に使われなければ良いかもしれませんな”奥様”」




