1827_こけこっこーにされる、チキン。
相手の臆病さを揶揄することによって、挑発をする行為は、こう、面子を大事にする界隈では有効な手段であるのであろうかなとか、ふと想像するわけでございますが、そもそもその辺りにこだわるような環境がちと歪なのではないだろうかと、思慮とかその辺りが足りていない、学習の失敗結果とも言えそうな、そのように連想したあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
幼児は舐められたら、おしまいであるという、そのような社会もあるのでありますね。遠慮というか、歯止めがかからないという意味合いでは、それはそうなのでありましょうが、そこで頂点をとると、何かいいことがあるのですか?今日も元気可愛いですな。
自身の地位を保つため、もしくはより上の権力を握るために、恫喝して、多数を支配下におくというやり口は、それほど珍しいものではなく、こう脅しというよりは、実力を示す、頼りになるところを見せる、意思決定を委ねさせるような、立ち位置に止まり続けさせる、そのような集団は、それこそ無数に存在するわけでございまして。
ではなぜにそこまで、集団の頭を取りたがるのかというと、単純に、気持ちが良いからである、が、根底にありそうではあるのであるかなとか、自己肯定感というものも関わってくるのでありましょうか?認められると、快感なので、それを求める、そのような結構浅い欲望があるのであろうかな、とか予想するわけでございます。
浅いというか、わかりやすい気持ちなのでありましょうかね、もちろん動機はどうあれ集団を効率的に運用して、群れを生き残りやすくする構造としては、結構、理にかなっている、場合もあるわけでございまして、結果として今まで無事に生き残ってきたという実績もあるわけでございます。
適度な権力闘争がある方が健全な群れを維持しやすいという、ことではなかろうかなとか、結果から観測できるわけでございまうが。この場合の健全とは、生存戦略的に優れている、のではなかろうかという予想でございますが。ただ、結構感情的なやりとりが根底に存在したりするので、歪みも大きいのであろうかなとか予想できるわけでございます。
もしくは、感情という要素が集団に必要なものであるということであるのかもしれないわけでございまして、空気とか、雰囲気とかを指し示している、その要因であるのであろうかなとも想像できるわけでございまして、これをある程度制御することができることが、統率という仕事の役割なのではなかろうかな、とか予想するわけでございます。
当面、感情を無視して、集団を運営することはできない、と言って良いのではなかろうかなとか予想するわけでございます。良くも悪くも、感情は、動因になりやすいものであるわけでありますし、基本、切り分けて思考、行動できる方は、過半数に満たないわけでございますが故のことでございますれば。
もっとも将来的には、感情は薄れると申しますか、理性の制御下に完全に置かれるのではないかという、やや楽観的な予想もございまして、ただその時期が一千年先か、一万年先かという気の長い話になる、ようなこれも結構根拠が薄い予想があるわけでございます。
それまでは、どうにかして、この感情というものを、誤魔化して、集団を制御していかなければならないわけでございまして、導くというお題目で、個人が力を発揮する場面が、まだまだみられるのであろうかな、とか。おそらくは、独裁者というか、少数が、多数を支配、管理する体制は続くのであろうかなとも想像するわけでございます。
面倒臭い、も、感情に起因する症状でありますがゆえに、この辺りが消えれば、かなり変質するのではないかなとか、いや、同時に余裕を別の方法で確保しなければならない、かもしれませんが。思考が発散したあたりで、おしまいです。
「鶏は結構歴史が古くて、神様の鳥とかと言われることもあります」
「成長のサイクルが早くて、便利な家畜ですね」
「それが臆病者の象徴になるのが面白いですな”旦那様”
結構カツカツな生産現場ではあるらしいですぞ”奥様”」




