1806_わりに合わない、会敵数極小。
見返りが少ないことは普通のことでありまして、なんとすれば、資源は消費の一途を辿っているわけでございますれば、使えば減るわけでございまして、何もせずとも時間は確実に過ぎていくわけでございますれば、まあ、できるだけ、無くなるまでの速さを遅くする、それに尽きるわけでございまして、なんの話でしょうか?悲観的な捉え方が悪いことではないのですよという無駄話をしようとしている、のでしょうね、失敗しそうではありますが。今日も元気なゴブリンです。いってみよー。
おやつにせよ、消耗するおもちゃにせよ、基本儚いものではありますが、それに付随する楽しみは、結構長く残りますので、満足していただけると、幸いです。今日も元気かわいいですね。
日々無駄に過ごして、何が悪いと開き直ってみることも大切なのではなかろうかなとか、いやまあ、悪いか良いかでいうならば、罪悪感を感じるのであるならば、改める必要があるかもしれません。気にしない方向で、精神を太くいたしましょう。そっちですかという突っ込みが聞こえてきそうではありますが。
身も蓋もないお話をするならば、基本、生きているだけで無駄である、とか、安定状態とは、停止しているものを指すので、活動しているだけ不安定である、とか、皮肉な言い方もできるわけではございますが、それじゃあ、全てやめてしまいましょう、とはならないところが不思議と申しますか、生き物が生き物をしている所以なのであろうかなとか、想像するわけでございます。
結果として生き残っているだけであって、そのままなんとなく絶滅してしまう可能性もないわけではないと言いますか、遠い未来においては、いなくなってしまうことがほぼ確定しているわけでございますれば、基本、悪あがきでしかないという見方もできるわけでございます。がまあ、それの何が悪いのかというと、悪いけれども悪くない、みたいな、言葉遊びに陥る感じがいたします。
そもそも悪いことには価値がないのであるかとなりますと、これはまあ、確かになんらかの役割があるのではなかろうかなとか、見方を変えるという以前に、存在そのものが悪いのであるならば、大体においてすべからく全部悪いものしかないという結論に至る、のではなかろうかな、とか。
善いものは存在しないものである、という論理がまかり通ってしまう可能性が出てくるわけでございまして、概念でしか存在しない、と言いますか、物理的にあり得ないものではなかろうかという、発想に至るわけでございまして、この辺り、宗教の問答集あたりに掲載していそうな話題ではあるかなとか、まあ連想したりするわけです。
悪さに段階があって、比較的程度が軽い悪さを選んで進んでいるというか、動いている可能性があるのであろうかなとか、比較の問題で、それよりはましであるという感覚で、善いという言葉を使用している可能性はないであろうかなとか、その程度の認識であったほうが、安全度は高そうではあるか、などと、思考すること、少し。
どうせ全てが悪に染まっているのであるからして、自らも悪側的行動をしてもよろしいのではないか、という発想は自然なものであり、過半数を超えているのであろうと予想するわけでございまして、その度合いが違うので、曲がりなりにも社会やら多々の構造やらが、成り立っているのであろうか、などと思考するわけでございます。
悪に対する定義の問題ではあるのであろうかなとか、価値の有無でいうならば、善悪にはそれほどの違いはなく、同等のものとして扱っていくほうが、安全性と申しますか、方向が違うだけで、同質の概念であるとか熱量的には等しいという感じでありましょうか。まあ、その方向の違いが問題なのです、とはなりそうではありますが。突散らかしたままで、おしまいです。
「表裏一体とか半面とか、まあ宗教的にもよくテーマになりますね」
「善いものがあるとしたほうが都合が良いからそう学習させています」
「シンプルにしたほうが受けが良いですからな”旦那様”
善悪概念は、利便性を追求したツールでもあるわけですな”奥様”」




