1804_てるてる小坊主、スピーカー。
音響関係もまた奥が深い趣味であるようでございまして、いまだに真空管の方が良いのではとかやっているとか、いないとか、電子の揺らぎが心地よいとかあるのでありましょうかね?この辺りの妙は、こだわらなければわからない分野ではありそうではございますが、耳にする音は遮ることが難しいので、最善を尽くすという発想は、ありそうではございます。などと、どう話を続けていくのか分からないまま始まるゴブリンです。いつものことではございますが。
好きな音楽というものは、結構、傾向が見えてくるものでございますが、怖いとか言われるものが意外な楽曲であると、ちょっと新鮮ではありますね。今日も元気可愛いですな。
音楽は無駄であり、だからそれが素晴らしい、という意見と、それは必須なものであり、ゆえに、辛いという意見と、色々ありそうではありまして、有益か無益か、好きか嫌いか、心地よいか不快か、とか、まあ、立場やら環境やらで、感想は千差万別である上に、一貫していないことも自然な反応ではありまして。
その場にあった拍子でなければ違和感しか生まないということは、これはまあ確かなものであるようでございますが、感情に寄り添うような音を作り出すことができるということは、これは言うまでもなく凄いことでございまして、そこに明確な意味と申しますか、言語的なやりとりが存在しないのに、気持ちを伝えることができると言う、それも、かなり初期の判断力しか持たないような、幼い脳みそにすら訴えかけることができる、場合があったりするという。
不思議な感じはするわけでございますが、そもそも音というものが、生まれる前から響いていたとするならば、学習はかなり進んでいたと言えなくもないわけでございまして、ただそれの、快不快、好悪との結びつけをどうしていたのであろうかなとか、想像すると少し不思議になるわけでございまして。
どうしてその音階が、音程が、拍子が、喜びを呼び覚ますのか、逆に恐怖を連想させるのか、の理由が、明確にはされていない、のではなかろうかなとか、それはまあ、周波数が、揃っている、ある特定の響きの組み合わせであることが、心地よさを感じさせて、そこから外れていくと、不安に感じるという現象は、これはそれほど観察するに難しくないわけでございます。
がしかし、それがどうしてそうなるのか?となりますと、推論を重ねていくしかないとかになるのではなかろうかなとか、いやしかし、どこぞには、結構明確に理屈を解説している文章やら論文やら、語ってくれる学者さんやらはいそうな気がしますが、これはまあ、雑談でありますので、そこまでは踏み込まないわけでございまして。
不思議だねぇ、不思議だねぇ、と、益体もない会話をしていくことが主体でありますからして、ここで調査を開始しないわけではございます。が、しかし気になるようでございましたら、ぜひ調べてみてもらいたいようなきも同時にするわけでございますが。
不協和音とかが、恐れやら警戒やら嫌悪感情を想起させるのは、それが、危険につながる音であったからではないかとか、予想はできるわけでございます。つまりは平常安全時には聞くことがなかったものであり、であるならば、なんらかの異常が迫ってきてる、可能性が高いという経験則であるから、なわけではございますが、これは学習の結果得られる反応であるとすると、幼児には効かないわけであるのでは、とかになりますが、そうでもなさそうな観察ができるわけでございまして。
ただ、乳幼児やら学習があまり進んでいない状態でも、大きな音は不安感を増すようではあるわけで、拍子はあまり関係ないのではなかろうかなとか、この辺り、実験するのは結構、条件を整えることが難しいであろうなぁ、とか、ぼんやりと思考を発散させながら、おしまいです。
「荘厳な讃美歌とかも学習の結果そう思っているだけであるのでしょうかね?」
「聞く方にも学びが必要になる、ことはまあ、確かですね」
「よく聞くリズムなら安心するという仕掛けはありそうではありますな”旦那様”
構文を理解した上での鑑賞が不純であるとか言いそうですな”奥様”」




