1800_まいっちんぐ、ゆるく、扇状的な線上。
色欲は世界を救うのか、どうかはよくわかりませんが、性欲がなければ、次代は誕生しないので、まあ、ないと困りますよね、ということは分かる、ような気がいたします。快楽で群れが維持されているという言い方をすると、なんとも気恥ずかしい感情が生まれるわけではありますが、さりとて、否定すると、これはまあ、歪みますな、とかなんとかぼんやりと思考しながら始まる今日のゴブリンでございます。
単純な好悪の感情から発展していくのでありましょうかね?まあ、まだ早いとは思いますが、異性への関心とかは、徐々に出てくるのでありましょうか?今日も元気可愛いですな。
創作物としての卑猥さは、どこまで許容されるべきであるのか、などという問いはそもそも前提が間違っておりまして、想像上であるならば、そもそも制限されるものではないわけであります。それは心情を絡めとるということであり、現状、人権を侵害することになる、わけでございますが故に。
なので、それを表出する場合にのみ話を限定することになるわけでございますが、表現の自由との兼ね合いが発生することは、これはまあ、それほど難しくない発想でございまして、どこまでお互いが譲歩するのかという、話になる、のかもしれないとは予想できるわけでございます。
基本、創造する側としては、表現の自由を犯すことはほんの少しでも許されないという立場をとるわけでございます。これは、わずかでも体制側、管理者側に、譲歩した場合、さらに踏み込まれることに繋がるからでありまして、この辺り、主義心情だけではなく、それに関わる利益享受体制があるところに、避けれない流れがある、のであろうかなと、予想するわけでございます。
逆に道徳的、社会安定派的、扇状嫌悪派的な、もしくはそれにかこつけて、利益を得ようとする個人や団体にとっては、かなり気軽に攻撃できる対象としてうってつけであるという認識であるのではなかろうかな、と言う予想ができるわけでございます。
創造する方が、少数派であるわけでございまして、しかも、分野が狭ければ狭いほど、抵抗が少なく、しかも、広告、広報にしかたを工夫することによって、大きな成果として周囲に示すことができる、わけでございまして、攻めて有利と言って過言ではない、わけでございます。
でありますので、基本、負け戦になる、のではなかろうかなと言う予想ができるわけでございます。であるならば、創造者側の戦略としては、その負けをできるだけ後に引き伸ばして、時間を稼ぐ、誤魔化し的なやり口をする、ことになるのではなかろうかなと。
要は、環境の変化を待ってしまおうと言うことでありまして、結局のところ、そのような攻撃をする方がいるのは、そうすることで利益が得られると言うことが大きいわけであります、つまりは、多数派であると言う点を活かした商売であるわ気でございまして、これを、弱めるためには、取り崩しが必要になる、わけでございます。
つまりは、認識の改変とか、価値観の移行を促すわけでありまして、古くはそれは低俗で、社会不安を煽るとされていた、文化が、時代の流れと共に認められてきた事例があるように、それがあることが当たり前である、存在を認められる、許容される、とする認識を持つものが一定数増えるまで、待つ戦略なわけでございまして、さらには、そのような流れを自然に作り出す方策もまた行うようにしていっている、のではなかろうかなと予想するわけでございます。
説得や議論で状況は変わらないわけです、少なくとも当事者の認識変革はこれは難しいわけです、ならばそうでない箇所から攻めるわけでありまして、なるほど、理にかなっているのではなかろうかなとか、ぼんやり賞賛しながら、おしまいです。
「改宗的なスキームで洗脳する手もありますね」
「議論は妥協点を探る作業という割り切りは必要ですよね」
「洒落ならないですが、まあ、ありそうではありますな”旦那様”
そこで考えが変わるようになる社会は目指すべきではありますな”奥様”」




