1798_虫干し、昆虫食。
蔵の中の整理と申しますか、湿気にやられないように風通しを良くすることであるような風習でございますが、単純に仕舞い込んでいたものの整理であるとか言えそうではございます。こう、物置になっている部屋がいくつかある住居は意外に多いのではなかろうかなとか、そもそも生活空間が荷物で圧迫されているという場合もあるかなとか、ぼんやりと、汚染部屋を想像しながら、のどかに始まる今日のゴブリンでございます。
子供が多く孵化する種の卵を室内に隠して置いておくのはおやめくださいね、恐怖映画のような展開になりましたから。今日も元気可愛いですな。
食糧危機の救世主は昆虫であるという意見がございまして、なるほど、単純な作りをしているので、外的環境に強く、さらには、成長が早く、世代の交代もかなり早いので、改良も捗るとなると、最もな話であるかなと、想像できるわけでございまして。
見た目がよろしくないから食欲がわかないという意見にもまた一定の理解ができそうではありますが、逆いうならば、見慣れた、食べなれてしまえば、問題ないのではなかろうかなとか、この辺りは価値観の更新が待たれるものである可能性が高いわけでございまして。
そうではなく、工夫して、お肉のような見た目にしてしまうやり口は、これはまあ、あるわけでございまして、現状でも野菜やら穀物やら、その辺りを人工肉とする技術は一定の水準で確立しているわけでございますし、それよりも成分が似ている昆虫ならば、やはり楽にそれができるのではなかろうかなとか、予想できるわけでございます。
資源の枯渇への対策やら、持続可能な環境整備やらを考慮するならば、昆虫食は避けては通れない道ではなかろうかなとか予想できるわけでございますが、それをしなくともどうにか今までできてきたという、その事実が足を引っ張るところは、どの業界でも同じような問題を抱えているのであろうなぁと達観するようになるわけでございまして。
変化を嫌うのは、余計な熱量を消費して、資源の無駄を防ぐ、生きるための本能に近い、とかなんとか言えそうではありますが、要は今までそうやって生き残ってきた群れであるので、それに対する肯定感が高いということでしかないわけでございまして、そのままそれで、さらに未来へ維持が可能かどうかかは、これはまあ、分からないとしか言えないはずではあります。
ただ、可能性はそちらのほうが高いのではなかろうかという意見もまた間違いではなく、他の方策を試みてきた群れが、現状存在しなくなっている可能性が高いことを考えると、安全ではあるのではなかろうかと、予想することは自然な流れではあるわけでございます。
それを踏まえた上で、しかしこれからもうまくいくかどうかは分からないという意見が生まれることもまた自然であり、たまたま環境やら条件やら、歴史的な流れで生き残ってきたけれども、偶然の要素も大きいと、評価されるわけでありまして、で、あるならば、他の方策も試す必要がある、という流れになることもまた、自然であるわけでございます。
なので、規模の大小はあるにしても、実験と繰り返す必要はあるのではなかろうかな、と、今までのやり方と違うことを試してみて、記録をとって、違う環境を作ってみて、遠い未来から、過去へ遡って評価するための下地を作成するべきではなかろうかなと、こうなることもそれほど珍しいことではないわけです。
この辺り、これは無駄な研究じゃぁないのですよ、とうまく説明できる人が必要になるのであろうかな、とか、ぼんやり連想しながら、おしまいです。
「食用に適するバッタを作れば、神様周りが喜びそうではありますね」
「可食部が多い品種を開発してほしくはあります」
「ラッパが吹かれたら、収穫の合図とか、ですかな?”旦那様”
そういえば食いしん坊でありましたな”奥様”」




