1795_戯画には鳥獣、他には魚人?
魚人戯画はありそうな題材なのではなかろうかなとかは、連想するわけでございますが、擬人化するのであるから、人はないかなと。では魚と、植物で描かれるのでなかろうかなぁとか想像してみるわけでございます。混沌としていると言いますか、魚介類で描かれる戯画とか、混沌みが深いような、冒涜的っぽいよう連想もされそうではありますな、益体もないことを思考しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
要は漫画が良いのでしょうね。絵で表現されている、写真で楽しむことのできる題材は幼児向け、とも限らない精度のものもありますな。面白いです。今日も元気可愛いですな。
探せば、たの戯画も出てくるのではなかろうかなとか、同時代に同じようなものを描いて、人気を得ようとした画家がいなかったかというと、いない方が不自然ではなかろうか?とか予想するわけでございますが、それほど後世に残っていないところを見ると、失敗したのでありましょうかね?
知らないだけで、実は有名な戯画があるのかもしれませんが。逆にこの作品が特異すぎるので、長く伝えられたという感じはありそうではあります。色々と続作が作られたような記事をどこかで目にしたような覚えもあったりするわけでございますが、作者のことはよく知らないわけでございまして。
古典的な作品で、優秀なものができた場合に、やはりそれを真似て出版するような、世に出すようなかたがおられるのではなかろうかな、とか、二匹目のどじょうを狙っているような、感じでありましょうか?残るかどうかは純粋に作品の面白さによるのでありましょうか?
残っていないということは、それなりの出来であったのであるか、大元の作品が偉大すぎたので、埋もれてしまった、とか、その辺りであるのではなかろうかとか、予想できるわけでございますが、この辺り、現代でも変わらないものがあるのではなかろうかなとか、想像できるわけでございます。
道具の発達で、お手軽に各種作品が創作できるようになってきた世の中であるが故に、埋もれてしまうものも多いのであろうかなとは、予想できるわけでございますが、一方で閲覧のしやすさやら、その作品を世に知らしめる、広報のような仕組みもまた、進歩しているわけでございまして、昔のそれこそ、紙に手書きの時代と比べると、どちらが、作品の日の目を見やすいか、というお話になるのではなかろうかな、と。
創作の裾野はかなり広くはなったのであろうかなと、道具の発達もそうではありますが、やはり学習環境の充実、余裕の創出が大きな要因であるのであろうかなとは、想像できるわけでございまして。資源の使い方が上手になっているのであろうかなとは、予想できるわけでございます。
どちらが良いのか、つまりは、わずかな範囲で、秀逸な作品が少数創作され、それが、洗練されたものとして、長く楽しまれる状況と、玉石混交、雑多な、それこそ無数の作品が、絶え間なく生み出されてきて、その中で、目を引くと申しますか、自分の好みにあうそれを見出す状況と、ということでありますが。
今更、創作の世界が狭まることはない、少なくとも二千年前くらいの規模になることはなさそうではありますので、あまり、意味のある問いではないわけでございます。ただ、それにしても、この条件で昔に戻りたいか?と問われるのであるならば、それはよろしくない、とする方が多いように予想できるわけでございます。
好みは千差万別であるわけでございますので、仮に見つけることが不可能なくらいに選択肢が多いとしても、そもそもそこに無いよりは良い、ことはまあ、自明であるのであろうかなとか、ぼんやり連想しつつ、おしまいです。
「神様も無数に用意するべきだとは思いますね」
「母集団を増やすことは、どの分野でも成長につながる、わけですよ」
「一柱で無数の顔を見せるような神様もおられますな”旦那様”
資源の許す限り、増えるものではありますな”奥様”」




