1793_がたき、仇、弔い、供養。
復讐は何も生まないが、心地よい。とか名言とか迷言があるそうでございまして、どちらでも構わないならば、自分のしたいようにする方が良いのではなかろうかなという意見にも、理があるかという感想も抱くわけではあります。巻き込まれる方は大変であるなぁという感想も同時に生まれるわけでございますが。物騒な世の中はそれだけで資源の浪費が激しくて困るのでは、などと思考しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
この惨状の要因は巡り巡って遡ると自分自身であるということに納得がいかないで癇癪を起こすという流れは、やはりまあ、幼児なのですよね。今日も元気可愛いですね。
やり返す必要はあるのかどうかという問いに対しては、これもまあ、いつものごとく、条件や環境によるのではなかろうかという、一概にそれが正解であるという答えが出るような問題ではないのですよ、と、なるわけでございます。許すが許さないかと言い換えても良いかもしれませんが。
基本、いざこざは、その後どうにかして誤魔化して、時間を稼いだ方が良い方向に向かう、場合が多いのではという、発想と、すぐに、果敢に、寸断なく、直ちに怒りを向けなければならない、そうでなければ、反省しない、というよりは、抑止力にならない、という発想とがある、ように観察できるわけでございます。
撃たれる前に撃つことが正しい、もしくは利益が大きくなる場合もありますし、専守防衛に努めることが、そうである場合もあります。常にどちらかが正しいということはないのであろうなぁと、そしてその見極めは、当事者やら、その時代に生きている方々には難しいであろうなぁ、という感想はあるわけでございます。
結果が判明して、そして、正確な評価を行うならば、それから派生するあれやこれやの影響を観察、観測、数値化して客観視して、過去へ遡って、いかなければならず、ずっと先に朧げながらできる行為なわけです。評価とはそれほど、難しいものであるわけでございますので、予想しかできない今、間違えることはさほど珍しい現象ではないわけでございます。
ただ、それでも、何かを選択しなければいけないということは多いわけでございまして、しっかり調べて、未来を見据えて、その方策を進めてみました、といっても、完璧ということはあり得ないわけでございます。特に実験室の外である、多様な要素が吹き荒れる、嵐のような環境で、未来を予測しようとしても、これはかなり難しいということは、容易に想像できるわけでございます。
つまるところ、間違えることを前提として、余裕のある選択をする必要があると、これに尽きるのであろうかなと、そのために、資源を確保する、これはまあ多ければ多いほど良いという発想で、それほど間違ってはいないのであろうかなと、それは無駄である、という意見をどうにかして誤魔化して、ことを成すようにすることが、肝要なのではなかろうかな、とか。
資源の確保が難しいので、集中と選択、有効そうなところにそれを振り分けてみました、というやり口は、これは成功しないわけでして、なぜならば、必ず成功するものを見極めることが、かなり難しいからであり、さらには、たの、意識の外からくるような成功やら利益の爆発を、否定してしまっているからであります。
ただでさえ少ない資源を、復讐などに消費している余裕はない、という論理もありそうではあります。ただ、強い感情は、直感の頻度やら精度やら、効果を、増幅する場合もありそうではあり、無駄でしかない、とも限らないところが、やはり難しいわけでございまして。
均衡を保ちつつ、致命的な損失を防ぎつつ、誤魔化して、時間を稼いでいるうちに、どうにか構造やら、人の変質を、為さなければならない、と考える人も結構いそうではあるなぁ、とか、傍観しつつ、おしまいです。
「神様の前では皆平等とかもまあ、誤魔化しではありますね」
「市場に均衡を保たせると、全てなくなって安定するとかになりますね」
「積極的に神御前に送るとか、まあ、物騒ではありますな”旦那様”
経済活動の死は、まあ、安定したと言えるのでしょうな”奥様”」




