1786_ゆでーたーまーGO。
街を歩き回って、各種ゆで卵を集めるわけでありましょうか?面白いのでしょうか?食材というか料理で戦う遊びは、不謹慎であるとか行儀が悪いとか言われそうではありますが、まあ、実物でなければ良いのでは、とか、どこぞには野菜を投げ合う祭りもあるようでありますし?伝統とつけば何をやってもいいんじゃないんじゃないかなぁ、とかぼんやり思いつつ始まる今日のゴブリンでございます。
卵好きですよね。ちょっと甘いとか、骨がなくて食べやすいとか、そんな感じが良いのでしょうか?今日も元気可愛いですね。
卵型の英雄とかは、まあ、結構題材として多い、ような覚えがあるわけでござます。半熟英雄とかそのままあったような気がしますし。そもそもなんとかの卵というものは、成長物語の定番の表現であるのであろうかなとか、そのまま孵化しないという流れもまた定番でございましょうか?
文学作品とか、古いものには、いつまでやっても芽が出ない登場人物が、うだうだとやっている、日常系の物語とか結構ありそうではあります。ここはそう、下手に有名になったり、成功したりさせると、ご都合主義であるとか、作者の願望が透けて見えるとか、で反感を買うから、なのかもしれないと想像するわけでございます。
つまるところ、自分よりも下の存在があることに安心する物語、というものの需要があるのではなかろうかという、予想でございまして、しかしそれを直接的に表現すると、それはそれで格好が悪いので手を出しにくいものになってしまうので、やんわりと表現を変えて、創出するという形になるのであろうかなとか。
読者の共感を得ることができるようにするという意味合いでも、安易に成功者を描かない方が良い、ということでございましょうか?基本、失敗している、といいますか、なんらかの夢を叶えている、それも社会的地位を備えてという方は、少数派である、ように観察できるわけでございますし。
この場合は他人との比較とか評価の基準が、資産を持っているかどうかに偏ってしまう可能性も高いわけでございますので、自分自身が満足している、他人の評価を気にしない人格の方であるなら、実はそれほど、共感しないということになるのであろうかなとか。
そもそも共感する物語が良い物語であるという前提が間違っている可能性もあるわけでございまして。自分自身が体験したそれをそのまま他人が語っている同じような内容を提示していくことになんの楽しみがあるのであろうか?という流れになることもありそうでございます。
ただ、あまりにも突飛すぎると、今度はどうにも想像することが出来ず、話が頭に入ってこない、ことにもなりかねないわけでございまして、こう、やはり、ちょっと知らない世界を覗き見るくらいの立ち位置が良いのではなかろうかなとか、予想するわけでございますが。
昨今は、基本貧困であるといいますか、生活に余裕がない方が増加している、ようでございますし、直接的に安全が脅かされているので、他のことに気が回らないという方も、またおられそうでございます、ので、文芸は流行らないのではなかろうかという恐れにも似た予想は、普通にありそうではあります。
こう、日常に追われている中に、ちょっとした白昼夢を見るような、少しの夢やら希望やら、または絶望でも悲しみでも、可笑しみでも、愛しみでも、慈しみでもなんでも、感情を揺らすようなものが欲しくならなくなることはない、と予想できますので、それは必要であるというよりは、自然にそこにあるものである、可能性もありそうではあるかな、とか、物語。そんなこんな連想をしつつおしまいです。
「自らより湧き出でる神は確かにいるのでしょうね」
「ふとした瞬間に出会ってしまうものではありそうですね」
「止めることのできない感情はありそうではありますな”旦那様”
物語を作らざるを得ない人格は確かに存在しそうではあります”奥様”」




