1780_ひきの強さ、後半へ続くという声。
続きがあるということは幸せなことである、まだまだ楽しめるということであるから、続きがあるということは不幸せである、終わりがない物語は苦痛でしかないから、とかなんとか、そのような話をしている方がどこぞにおられたような気がしますが、まあ、ほどほどにすることが良いのでありましょうか?飽きるまで続けられるかどうかは、こちら側に権限があるかどうかの話にもつながるわけでございますが、その辺り、どう折り合いをつけていっているのでしょうか?などと、誰に尋ねているのですかというやり口で始まる今日のゴブリンです、長いな。
長く続くと思っていても、いつの間にか終わっている場合もありますね。ええとお代わりはお腹を壊しそうですので、ご遠慮ください。今日も元気可愛いですね。
永遠に続くものはないというまあ、一般的な定義はあるわけでございますが、これは実は考え方次第では簡単に覆されるものでありまして、簡単に言うならば、無限は一瞬に凝縮されているわけであるからして、一瞬がそのまま無限になってしまうわけでありまして、そもそも果てなどないという認識が生まれてしまうという、いや何を言っているのかわからないですね、現象を引き起こすわけでございまして。
観察者の立場やら立ち位置の問題であるのかなとか、要は、螺旋のごとく回っているのであるけれどもどこかで、また同位置へと立ち戻っている、循環している螺旋のような感覚なのでありましょうか、そもそも三次元的な画像で処理できるような問題ではないのかもしれませんが、多次元空間の構築は人の脳みそでは難しいのでありましょうか。
そのようなことはなく、座標指定をすることで対応できるわけでございまして、それこそ、無限の階層を表すことができるのではなかろうかなとか、それはまあ、定点を表記するならば簡単、とか単純とかの、分類に入れられるのでありますが、加速度やら、それに準ずるというか、それの発展系の数値をどう表現するのか、とか思考が突散らかしそうになるわけでございまして。
当然その辺りの考察も、どこかで誰かがしていることは確かであるわけでございまして、なぜならば、素人でも思いつくような発想であるからして、専門職がそこに至らないと申しますか、通り道の一つにならないわけがないわけでございまして、ただそもそも高い次元とはなんぞや、という疑問を解決していない可能性はありそうではあるかなとか。
意味的には、空間が三次元であるならば、それに時間の要素を加えれば四次元になるだろう、という結構直接的で乱暴な考察であるわけでございまして、無限の格納空間に四次元の名前を冠することは、それほど、違和感がないかなと思考するのは、漫画的表現と似通っているのであるかななのであろうかなと。
それは幼稚であるのではなく、むしろ漫画的な表現が意外と高い考察力とか表現力を持っているからなのであろうかなとか、古来より図解は、数式に並んで高度な表現であったような覚えがあるわけでありまして、であるならば、絵画やら図版やらで、数学を表現するなら、それは無敵ではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
つまり今の世の中求められているのは、純粋数学の漫画であるのではなかろうかなとか、擬人化、なるほどそれもまた良いような気がします。過去の数学者に親愛の情をこめて可愛らしい絵柄で描きましょう、ぜひ読みたい気がします。最もどこかにはすでにありそうではありますが。
難解な数式を絵で説明するような学術書っぽい何かは、これはどこかに需要があるような気がするわけでございますが、子供用ではなく、いやまあ、そもそもあれは子供向けではあるが、子供騙しではないので、大人が読んでも良いものであるのであるかな、などと、思考を発散させつつ、おしまいです。
「神は数字に宿るとかなんとか言える人もいますね」
「数式はすでに絵画要素を含んでいるような気がしますね」
「神秘的に見えるのでしょうね、直感と違うので”旦那様”
数式から絵を想起する人は、いそうではありますな”奥様”」




