1774_あんこ、つぶかこすのか、うぐいす。
小麦粉を基本にした生地に餡を包み込んで焼く食べ物の名称を決定することに関して戦争めいた事案が発生することがあるそうでございますが、なんとも平和な世界であるかなとか、心が温まる、様なそうでもないような、感覚に襲われつつ、華麗に回避しながら始まる今日のゴブリンでございます。
あんこというよりは砂糖の甘みが好きなのでありましょうかね?食感とかも関係していそうではありますが、こし餡の方が好きですかそうですか。今日も元気可愛いですね。
食へのこだわりがある文化は、豊かではなかろうかという予想ができるわけでございますが、そもそも選択肢があるだけ恵まれているという意見もあるようでございまして、どれだけ殺伐とした社会があるのであろうかなとか、少し恐れ慄くあたりがございますが、ただ、貧困からの飢餓は普通にある現象ではあるのであるかなとも連想するわけでございます。
食料の生産とその移動が間に合っていないのであろうかなとか、必要十分な資源は確かにあるのではあろうかなとは予想するわけでございますが、それが行き届いていない、のであろうかなとか。理屈としては飢える存在は皆無になるはずではあるのですが、なぜか偏ってしまうわけでございまして。
何が悪いというならば、全体的にうっすらと悪いとしか言いようがないわけでございまして、決定的にここを改善すれば、よくなるはずという点はこれは見えてこないか、見えているとしたならば、別の意図を確認した方が良いような、怪しさを感じさせるものであると判断した方が安全度が高くなる、のではなかろうかと予想するわけでございます。
複合的に色々あるのであろうなぁとは、簡単に思いつくわけでございまして、であるならば、些細なところから対処していくことが実は早く問題を解決する道筋なのであろうかなとかは予想できるわけでございまして、身近なことから、対処することが大事、なのかもしれないとか、ぼんやり想像するわけでございます。
認識の違いがあったり、知らないということがあるからこその齟齬とか不具合とか歪みとかであるのであろうかなとか、予想するわけでございますが、基本利益になるかならないかという点で社会が動いているからという認識もそれほど間違ってはなく、この場合の利益は短期的なものであるのであろうかなとも予想できるわ気でございますが。
個人個人の認識やら価値観が変化していくならば、それが全体の流れを作り出す可能性が高いわけであり、施すのではなく、それは投資であるとか、全体を底上げしなければ、社会全体の進歩やら進展やら改善は行えない、もしくはかなり歪な何処かで破綻する構造しか作ることができない、のではなかろうかという認識を広く過半数を超えて持たせることによって、徐々に貧困が少なくなっていく、のではなかろうかなとか予想するわけでございます。
儲けることが悪いことであるという発想もまた間違いであり、利益を独占していることがよろしくないことであるという、流れにすることも一見道徳的に正しく見えても、やり口がまずければ、さらに社会が歪んでいく可能性があり、このあたり、対処が難しいものであるのであろうかなとか、想像するわけでございます。
目の前の何かを切り捨てて見える様な行動が、実はのちに広く多くを底上げする行為の発端であったりする、こともあるのではあろうかなとか、想像できるわけでございますが、犠牲になる方への説明やら、それを受け取れるだけの学習能力やらを鍛えることが、先に必要になるのであろうかなとか、時間がかかるということは、今そこにある危機を誤魔化す必要があるのであろうかなとか、どうにも難しそうではあり、そのあたりの技術を発展させる必要があるのであろうなぁ、とか、ぼんやりと連想を発散させつつ、おしまいです。
「私は粒あんが好きですね」
「甘みが上品なら、どちらでも良いです」
「お菓子の種類によりますね”旦那様”
確かに、暴力的に甘いだけの餡子は勘弁ですな”奥様”」




