1761_瓦礫の山、プラモデル、ジオラマドラマ。
模型製作は良い趣味であるかどうかはさておき、何かを作り出すことやら工作はこれはかなり創造的な趣味であり、楽しげであるように観測できるわけでございます。計画して実行して評価して修正してというような一連の流れを、無理なく行えるということは、幸せなことではなかろうかなとか、ぼんやりと想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
積み木を使用して何かを作るという行為も、楽しいものがあるわけでございましょうな。飽きて投げるまでの間という見方もございますが。今日も元気可愛いですね。
どうして物作りをするのでありましょうか、という問いに関しては、できそうであるのでやってみた、で返答することが正しいのではなかろうかという意見がございまして、別にそれは必要ではないわけでございますが、作れそうであるから、とか作ってみたかったからとか、基本何となく、そうしたかったからくらいの動機で十分ではなかろうかなとか予想するわけでございます。
好きに生きるためにはそのような工作が必要であるのかと言われますと、万人がそうではなさそうであるという観察はできるわけでございますが、どちらかというと、何かを作っている作ろうとしている作り続けている、方々が、楽しそうにしていると観察できるわけでございまして、これはまあ、そうした方が、おおよそ楽しいという性質を持っている人格が過半数を超えているのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
いやいやそうではなく消費しているのみとか、ただただ、騒いているだけとか、文化を利用しているだけで十分楽しいわけであるし、なんとするならば、それをし尽くしても尽くせないだけの物量が既に存在するのであるからして、なぜに自分で何かを作り出さなければならないのであろうか?という意見もそれほど間違ってはいないわけでございまして。
それはそれでよろしいのではなかろうかなとか、あるものを楽しまないこともまた不自然であるわけでございまして、ただそれで十分であるという現状が、なんらかの欺瞞に塗れているとか、何かに誤魔化されている結果ではなかろうかなとかの、疑念を抱かなければ、幸せなまま終わる可能性が高いのではなかろうか、とかまあいらない心配をしてしまう方もおられるわけでございまして。
娯楽の消費はそれの創出よりも熱が冷める速さが、格段に速い、場合が多そうでございまして、つまりは燃費が悪い可能性がある、のではなかろうかなとか予想するわけでございます。お手軽にできるということは、簡単に飽きるということでございまして、工夫の余地がないと申しますか、そのままをなぞることにどのような楽しみがあるのでしょうか?というような疑問が立ち生まれることになる、かもしれないわけでございます。
商売であることが前提であり、気楽に楽しめますよ、と、間口を広くとって、購買層を大きくするようにしているわけでございまして、ある意味、似たようなものを何度も売りつけるために、一回で満足しないと申しますか、何度でも簡単な快楽を得られるように工夫をしてみたりする作戦がある、のかもしれません。
または逆に一回でも買ってくれればそれでよろしくて、あとはそれに飽きて手を出さなくてもいいのではないかという売り方もあるわけでございます。一通りの人が購入すれば、それなりに大きく儲けることができるわけでございますから。であるならば、これは長く続く趣味になり得ない、場合があるのであろうかなとか予想できるわけでございます。
簡単に与えられたものはすぐに無くなってしまう、とか何とか言われる部類のことではなかろうかなと、無駄に試練を与えるのもどうか、とは思考するわけでございますが、塩梅ですかな?おしまいです。
「自らが得た悟りこそ史上であるとかなんとかはありそうではありますね」
「気づきが大切で一番面白いところであるから周囲はもどかしいわけです」
「獲得したものに価値があるという話ですな”旦那様”
指示をしたくなるところを我慢する必要があるわけです”奥様”」




