1760_得を積む、儲けることが信仰。
利益重視で何が悪いというのでしょうか?と開き直るような台詞が結構頻繁に観察されるということは、これはやはり、否定的に捉えられる概念とか考えとか趣味であるとか言われるようなものであるという共通認識があるということであるのかなとかぼんやり思考するわけでござますが、無償のやり取りもまた利益を得るための形態であるのであるから、そこに貴賎はないのではとか、なりそうでなかろうかとか、なんとなくぼんやり夢想しながら始まる今日のゴブリンでございます。
それをしたら何をくれるのか?というようなしつけはよろしくないという意見もございますが、どのような得があるのかの説明はしておいておいて良いのではという気もいたしますな。今日も元気可愛いですね。
自分が食べて暮らしていけるのであるならば、無償で労働をしても良いのではなかろうかとか、格安で商品を提供しても良いのではなかろうかという意見につきましては、それで食べている方々の商売を邪魔することになるという事例一つで結構反論できそうな流れでございまして。
ではその方々も助けて仕舞えばよろしいのではないかとなりますと、今度は資源が足りなくなるのであろうかなとかなりそうではあります。この話を進めていきますと、労働を全て無くしてしまいませんか、という問いかけの答えになりそうではあります。
何をしなくとも皆暮らしていけるのであるならば、そこには労働の概念がなくなるわけでございまして、趣味的に自分の持つ能力を活かして、他の人格に奉仕すると言いますか、良い顔をする、喜んでもらうために奉仕する、ような活動しか必要でなくなるわけでございまして、生きるための活動ではなく、娯楽としての活動が主軸になるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
こうなれば、むしろ儲けを出すという意識すらなくなるのであろうかなとか、無限の資源を背景にした社会が完成するならば、これはこれで問題はないのであろうかとか予想するわけでございますが、現実は有限の資源をどうにかしてやりくりしなければならず、それを全体を把握して、制御することが難しいからこその、経済的な仕組みを利用した均衡を保つ仕組みに頼ることになる、のであろうかなとか予想するわけでございます。
利益を出して取引をする、商売をする、労働力を社会維持に変換する、言い方は色々あるわけでございますが、それらは結局のところ、資源をどう効率的に消費していくのか、使い切るまでの時間をどう伸ばしていくのか、という誤魔化しでありまして、時間稼ぎにすぎないわけでございます。
ただ、現状、大元の資源であるところの主星による熱量が、現存する種の寿命に対して膨大であるがために、そこから掠め取るようにして僅かに得られる資源でも、どうにかこうにか、一千年単位で時間稼ぎの予定を立てることができるのではなかろうかという予想ができているわけでございます。
百年単位かもしれませんが、少なくとも、数十年単位では資源は枯渇しないだろうという予想のもと社会を構築している方が過半数であるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。つまるところ効率的な資源利用の技術が生み出される可能性に賭けて、時間稼ぎをしている段階であるとか、なんとかになりそうではあるわけでございます。
で、あるならば、そのために、健全な経済活動を行わなければならないのであろうかなとか、資源の浪費を抑えるために、安売りを、奉仕的に消費することを抑制させなければならないわけであり、適切な値段設定で正しい均衡を、もしくは、停滞に近い流れを、維持する必要があったりするんではなかろうかなとか、適当に妄想を垂れ流して、おしまいです。
「お金がお金を生み出す商売はよろしくないという宗教もありますね」
「拡大路線は、必ず破綻するという見地はありますね」
「実体経済との乖離とか問題視する方も多いですな”旦那様”
市場は無限に広がらないわけでございますし”奥様”」




