1758_烏口、ガラス口、ガマ口、げろげーろ。
蛙の鳴き真似をして芸をする方々がおられたような覚えがあるわけでございまして、あちらでげこげこ、こちらでげーこげこ、鳴き声で雌雄が判別できるかどうかというお話でございましたが、実際にもそれは可能なのでありましょうか?予想としては可能そうではございますね、繁殖期にどちらがどちらの鳴き声であるかがわからなければ、問題が大きそうではございますがゆえに、結構浪漫溢れる声なのでありましょうか?とかぼんやりと夢想する今日のゴブリンでございます。
幼児の鳴き声にもやはり意味があるのでありましょうか?はい、現実逃避ですね、すでに何が大元の原因で泣き出したのかすら覚えてないのではなかろうかなという予想はできていますが。今日も元気可愛いですな。
意図的な音の連なりで意志の伝達を行なっているのではなかろうかという想像は、結構よくある発想ではあるわけでございまして、特定の鳥類ではすでに言語、と申しますが文法がすでに判別可能であるとか何とか、しっかりと観察できているとか何とか、記事を拝見した覚えがございます。
このような研究が進んでいくならば、そのうちに、どこぞの幻想小説のごとく動物と会話ができるお医者さんとか、現実に登場してしまうのではなかろうかという心配がされてしまうのではなかろうかとか、想像してしまうわけでございますが、杞憂ではなかろうかなとかも同時に予想するわけでございます。
そのうちに生合成がとられる社会になるのであろうかなとか、同時に予想できるわけでございまして、新しい倫理観が生まれたり、既存のそれが変化したりするのであろうかなとも、想像できるわけでございます。それに至った世界を描くことでまた面白そうな物語になるのではなかろうかという期待が生まれたりもするわけでございますし、実際に存在するのであろうかなとも予想できるわけでございます。
飼い慣らされて、そのうちに役に立つように加工される未来に向かっている生き物と意思疎通ができるということは、これはまあ、現状悲劇的なと申しますか、物悲しい情景を描き出すことになるのであろうかなとは、予想できるわけでございます。この辺りの感情が、食肉否定主義を生み出していくのであろうかなとか、も同時に予想できるわけでございますが。
同時に、そのような感情をもとにしても、であるからして、自分の生きるということには責任を持たなければならないのであるという、やり口に行くこともあるわけでございまして、犠牲となったものを無駄にはしないぞという、心持ちを主軸にするようなある意味、傲慢な精神を持つような生き方でありましょうか?
どうせ何かを消費しなければ生きられないのであるならば、それに感謝をするべきであろう、という発想はそれほど不健全ではないように思考されるわけではございますが、逆にそれを当然とすると、どこかで大きな不具合を発生させるのではなかろうかという漠然とした不安も生じるわけでございまして。
つまるところ、効率的に無駄なく、過不足なく、丁寧に、誠実に、資源を扱うということができなくなることが問題なのであって、一切消費を否定してやめてしまようとうことではないのであるよ、という結論に落ち着くまで、遠回りをする人格が多いのではなかろうかなとか予想するわけでございまして。
それほど急いで成長する必要はない、わけでございますが、できれば後戻りな最小限にするべきではなかろうかなとか、急激な変化でなく、緩やかな最適解に近づくような働きかけはするべきであろうかなとか、その辺り、改革を認識するとかさせるとかそのように意識させた時点で失敗ではなかろうかなとか、いつの間にか終わっていたというやり口が最適なのであろうかなとか、その流れの中で異種族との対話とかも差し込まれていくのであろうかなとか、ぼんやりと、話題を発散させていきまして、おしまいです。
「言語を奪ったからこその家畜化という側面はあるかもしれませんね」
「知恵があるから食肉としないというのもまた傲慢ではあります」
「塔は砕かれるべくして砕かれたわけですな”旦那様”
別の理屈で同種喰いは避けられるべきではありますな”奥様”」




