1756_以後今後末永く末代までヒーホー。
陽気な妖精、かぼちゃお化けと、雪だるまお化け、その二人組の犯行とか連想するわけでございますが、女神が転生する物語で全てが悪魔になる設定、当時では結構野心的ではなかろうかなとか、むしろ今のほうが結構攻めているのではなかろうかなとか、お祓いが必要的な観点からでも、人権主義者やら、概念正当化やらの文句やらがどこぞから必ず上がってくるような感じではございまして、素晴らしいなと褒めてあげたいだけの今日のゴブリンでございます。
中立で中庸なだけが、正解ではないのでありますよね、とか言い聞かせてみますが、そもそも混沌よりであるわけでございまして、ならばそこより脱していただきたく思うわけでございます。今日も元気可愛いですね。
何も考えないで発言するとこと、その逆と、どちらが良いのであるかというと、後者のものであることはそれほど間違ってはいないわけでございますが、素直な意見となると前者の方がもてはやされる傾向があるとか、純粋な意見とか言われたりすることもあり、複雑な心境に陥る方も多いのではなかろうかなとか予想するわけございます。
感情的になることはよろしくないわけでございますが、人間味がないと嫌われる傾向にあるという、ある意味矛盾な対人関係の環境設定が基本的に存在している構造の中で、皆様生きておられるわけでございまして、矛盾ではありませんかとの問いに対して、状況と環境によるのですよ、とか返すしかないわけでございまいして、この辺りの見極めに技術が必要になる、資源が必要になる、のであろうかなと予想するわけでございます。
面倒臭いことは確かでございまして、ただ、それを無視すると洒落にならない面倒臭さがさらにのちに襲ってくる可能性があったりするわけでございまして、未来の危険を避けるために、早めに対処しているというような側面が大きいのではなかろうかなとか、大きな側面はすでに正面であるか否か、などと益体もな発想が浮かんできたりもするわけでございますが。
その対人関係の労力をいかに少なくするかということで、文化が発展してきたのであろうかなとか、その場その場でどのように振る舞うことが良いとされるのかを決めておいて、それに従うようにすることで、思考やら判断に掛かる資源を削減、軽減させておいて、負担を軽くしようと試みてきているわけでございまして。
長々とした綺麗やら、特定の所作やら、日付に紐づけられた祭り、祀られ、時候の挨拶やら、関係性による動作の確定やら、まあ、その辺りのことをある程度決めておいてそれに従うことによって、敬意を表したり、誠実さを演出したりすることになる、のであろうかなとか、以前にも同じようなことを考察したり連想したりしましたが。
そしてその所作は時代によって変化していくものである、のではなかろうかなという発想もあるわけでございまして、昔はあったけれども今はない行動に基づいてのそれとかが代表的ではあるわけでございますが、ただ、それの発展系と申しますか、形を変えて続いてきたものに対しての、形式的な継承があったりするわけでございまして、今では意味がないものであるかなというものも多そうではございます。
これは効率的ではないのではなかろうかというものもあるわけでございますが、お互いにそれが敬意を表すということを知っているならば、対人関係をよろしくするための資源を安く済ませる工夫になるわけでございまして、この辺り費用対効果の問題であるのであろうかなとか予想するわけでございます。
ただまあ、基本、対話とか所作とかは、誤解して伝わることが確定しておりますので、それを折り込んでの行動をすることが肝要なのではなかろうかなとか、はい、非常にややこしそうなので、おしまいです。
「神の言葉も時代によって解釈を変えていますからね」
「暴力的でなければ大体オーケーな気はしますよ」
「だから基本曖昧なのですよな”旦那様”
きつい言葉も反感を買いますな”奥様”」




