1753_菓子コイ、博士不苦労。
連想しながら意味が徐々にもしくは大胆にずれていくことは結構発生する現象でございまして、知識量によるのであろうかなと、その移動の頻度というようなものはとか予想するわけでございますが、少なくとも記憶が残っている限り発生するのであろうかなとか、もしくは情報を入力されながら連想している場合もあるのであろうかなとか、であるならば、洪水のような入力があるならば連なる思いもまた膨大なものになるのではとかぼんやり想像しながら始める今日のゴブリンでございます。
未知が多いから入力情報が膨大になり連想が捗るということになるのであろうかなとか、外出を好む幼児がお多いのはそれが心地よいからでございましょうか?今日も元気可愛いでございますね。
好奇心というものが快楽につながるという流れがあるのであろうかなとか、知るという行為にはそもそも肯定感が増す効果がある、という予想ができそうではありまして、これは成長しているというような意識を抱かせることができるということであろうかとか、初期段階であるならば、自分自身のみが先駆者であるという無意識の思い込みがやりやすいということでもあるかもしれないとか、連想するわけでございまして。
比べるようになってからその肯定感は薄れていくのであろうかなとか、しかしそれは自分自身しかそれを知らないとかたどり着いていなとかそのような発想に陥ることで補完することができるとか誤魔化すことができるのではなかろうかとか、つまりは、その発想はなかったとか自ら驚くような展開であろうかなとか予想するわけでございまして。
もちろん井の中の蛙大海を知らずのような事例になることは十分あるわけでございまして、むしろそのようなことが大半であろうなという現実があったりするのではなかろうかと予想できるわけでございますので、あえて知らない調べないようにして自分の感情的な揺れ幅を維持するようなやり口もありそうではありまして、それが、第三者的に純粋だなとか、幼いけれど、眩しく映るような、可愛らしさになっていく、場合もあったりするのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
狙ってそれをするならば、やはりあざといな、小賢しいなと、なり批判を浴びそうではございますが、そもそもそれを周囲に漏らさないで、個人で完結してしまえば、そうはならないわけでございまして、ある意味、秘匿性があるが故の肯定感を増す工夫になるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
その知識が本当に自分しか知らないものである、その可能性があることに対する興奮とか喜びとか感動とか、それを維持するために秘密を持つとか、そのようにして楽しむやり口はそれほど珍しいものではなく、優越感を結構手軽に感じることのできる作戦ではあるかなとは予想できるわけでございます。
別にそれが真実でなくとも良いわけでございまして、自分自身を騙すことができるのであるならば、全く問題なく、楽しむことができるわけでございます、妄想と何が違うのかというならば、それはそれほどの違いはなく、ただただ、自己満足
を得るための心の動きであり、精神的圧迫を逃すための仕組みである、のではなかろうかなとか。
普通に眠る時に見る夢のような働きをしているのではなかろうかとか、起きている時に見る夢、白昼夢のようなものなのかもしれないとか、それはそれで現実の事象、情報の入力に対しての精度が落ちる、反応が鈍るのではなかろうかという心配もあるわけでございますが、まあ、その辺りは、お互いがそうであれば条件は同じであり、どうにかなりそうではあるかなとか、ぼんやりと想像しつつ、いや世界の危機では?とか我に返りつつ、まあ良いか、と投げやっておしまいです。
「神に現を抜かしていて平和だった時代もありそうではありますね」
「見るべき現実があることを知らせる必要はありそうですね」
「緩やかな衰退を示したりもしますな”旦那様”
直視できないから夢に揺蕩うのでありましょうよ”奥様”」




