1749_ナット納豆、ねばねばギブアぷ。
納豆に限らず発酵食品は体に良いという風潮があるようでございまして、それなりに科学的な裏付けもされているようでございますので、皆様、それらを食べるべきでありましょうとか、なんとか、どこぞの業界の回し者のような宣伝をいきなりしてみたりするわけでございますが、匂いがどうにもという方もまた多いわけでございまして、この辺りは強制してはいけない部類であるのであろうかなとは想像するわけでございます、とういう感じで始まる今日のゴブリンでございます。
納豆とかは好きですな。食欲がないということがないわけではございますが。今日も元気可愛いですね。
腐敗と発酵は人の役に立っているかどうかの見方で違うだけであり、その実は同じであるとかなんとか言われたりしているようでございまして、要は毒性を持つかどうかの差なのであろうかなとか予想するわけでございますが、この辺り人の業が現れているのではなかろうかとか発想を横に流してみることも可能であり、宗教関係の話題にまで踏み込めそうではございます。
発酵教とかありそうではありますが、他の生き物を犠牲にしてまで生き延びるのはどうなのであろうかという教義があるものもあるとするならば、微細な生き物であるところの細菌が働いている、食品についての立ち位置はどうなるのであろうかなとか、想像することしかり。
それだけではなく空気中に漂うような生き物を呼吸によってなくしているのではなかろうかとかの発想に至りますと、もう息を止めるしかないとかになってしまって、現実的ではなくなってしまうわけでございまして、どこかで線引きをしているのであろうかなとか、予想するわけでございます。
そもそもが中途半端にならざるを得ないのであるからしてそれは趣味であるとかなんとか暴言をはけそうではございますが、それをいうならば、主義主張やら、宗教信条、文化歴史は、総じて趣味に含まれてしまうのではなかろうかという乱暴な意見に集約されそうでございまして。
それはなんとなくの連なりであるわけでございます、思考すること連想することを始めてしまった人格がたどり着いていたり、通り過ぎていたり、今まさに動いている思考の流れでしかなく、明確な理由があってそうしているというものは少ないように観察されるわけでございます。
生理的な問題を精神的なそれにすり替えてしまっているようにも見えるわけでございまして、あれは手に入らないから酸っぱいに違いない、の逆のような、これは生理的に受け付けないので、邪悪なものに違いないとか、排除すべき障害であるとかなんとか、理屈をつけてしまって、それを体系づけてしまっている、のであろうかなとか、まあ、ある意味、暇つぶしに近いものがあるのではなかろうかとか、想像するわけでございます。
誤魔化しであるという言い方もあるわけでございまして、分かりにくいものをわかりやすくして、群衆を制御しようと試みたり、自然にそうなってしまった可能性が高そうでありまして、その最初の動きに連鎖して、大きく容易には止まらなくなった趣味の連鎖であったりしたりするのではなかろうかなとか。
感情の流れであるのであろうかなとか、好悪なのであろうかなとか、それをどのようにか説明づけて、説得して、都合の良いようにまとめるか、総体をすすめるかしているだけであり、基本、根拠が薄いと申しますか、そのようなものもあるのであろうかなとは、予想できるわけでございまして、この辺りに、科学的な手法が必要になる環境があるのであろうかなとか、ぼんやりと連想を発散させておしまいです。
「論理的に説明しても感情が否定する、からこその宗教力なのです」
「洗脳に近いけれども幸せになれるなら良いかなというスタンス?」
「単純に対話が不足している可能性もありますな”旦那様”
気がつかなければ幸せだったのに、という感じですな”奥様”」




