1741_凍るような視線と死線の支線。
並行世界があると仮定した物語は、ご都合主義に溢れてしまうという問題を抱えてしまうことは、ご存じのとおりでございまして、やり直しが何度でも効きますよとなりますと、展開が軽くなる場合がございますゆえに、何らかの制約が課せられるような流れになるか、一回きりの騙し討ちのような奇襲効果を期待しての仕掛けとして作用するやり口になる、のではなかろうかなとかぼんやりと想像するあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
複数ある未来から最良の物を選択できるくらいは普通にやれますよね、とか言いそうなお子様ではありますな。今日も元気可愛いですね。
全てを無かったことにするのではなく、あったのであるけれどもそれは放り出して、主軸から外して、別の可能性を選択していくというやり口であるのであろうかなとか、高度な予想とか未来予測とかと変わらないのではなかろうかという意見もあるわけでございますが、実際にそこへ物理的な変化が加わっていることが問題になる、のでありましょうか?
緊張感がなくなるので成功率が下がるのではなかろうかなとか、安易に総当たりを試すことになって、時間がいくらあっても足りなくなるとか、同じような能力を持った方との相互干渉的な不具合が発生してしまうとか、まあ、ざっくりと、便利すぎる能力の代償とか何とかありそうなものであるかなとか、その辺りで、均衡を稼いで、物語を面白くしているのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
そのようなものはないと断言してからの絶望からの希望を見出す流れも、これは結構観察されるものではありますし、現実的で、想像がしやすいという利点がございまして、ある意味普通のことではあるわけでございますが、時間は巻き戻らないし、選択は無かったことにできない、のでありますから。
ただ、未来予測が仮想現実的な環境でなされるのであるならば、実際はそうはなっていなかったという展開が無理なく差し込めるわけでございまして、どこまでそれを登場人物が知っていたのかとか、読者も巻き込まれているのかという別の次元での技術が必要になってくるわけでございましょうか?
展開は基本作者の自由に行える、権限が及ぶ場所である、という前提であるならば、実はご都合主義を止めることは、読み手には不可能であるのではなかろうかというお話になるわけでございまして、人気を盾にもしくは評価を盾にそのような暴虐を許さないぞと言ったとしても、書き手が気にしなければそれは効果が薄いわけでございます。
最も、そうであるならば、ただ単に読まなければ良いということになりまして、気にした方が不利益を被る環境であるのではなかろうかなとか、想像するわけでございまして、ただ、誰にも読まれない、好き勝手な物語を公に出すことに何の意味があるのかとか、なりそうであります。
それに対しての明確な答えは、出しておく、公に残しておくことで、保守点検を外部に勝手に委託するとか、予備として、記録として取っておくような役割を、望んでいたりするのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。せっかくの発送を忘れないようにするということと、どこかに放っておけば、作者自身にまたそれから連想された情報が戻ってくるのではなかろうかという、そこはかとない期待があるのではなかろうかとか、ありそうでございます。
気に入った、自信の感情を揺らすことができる、楽しみがどこからか巡って帰ってくることを、うっすらと期待して、世の中に放っている、とか想像すると、結構楽しそうではあるかなとか、ぼんやりと想像しておしまいです。
「袖振り合うも他生の縁、を積極的にやっていくスタイルだね」
「直接的な評価を重視しないのは健康的ではあると思います」
「自分の放った情報がどう回っていくのかを観察するとかですな”旦那様”
人の目を気にしすぎると、病みますからな”奥様”」




