1738_極道者とは道を極めた者、いやちゃうねん。
意味的には間違っていないはずなのに、説明すると、不穏当な発言になってしまうことってありますよね?いやこの文章を書いている方は誰なんでしょうか?ともあれ、なんとなく格好良いから使っていたらば、暗黒的なとか、反社会的な用語になってしまった、不幸な仏教用語であるようでございまして、双璧を成すのは魔王とかでありましょうか?魔王はあれですね、元々の意味合いもそれほどよろしくないわけでございますから、極道がかわいそうということであっているのではないでしょうか?今日も今日とて内容のない無駄話を始めるゴブリンでございます。
まさに外道とか言っている映像に近いわけでございますが、いやまあ、それよりは大きく育ってはいるのでないでしょうかね?今日も元気可愛いですね。
極道はそれほど悪い意味ではなかったわけでございますが、外道とかになりますとこれは最初から良い意味合いではないような覚えがございまして、道を外れているということでありますから、正しくこちらが反社会的な存在を示す言葉ではないかとか、予想するわけでございます。
茶道、武道とか、まあ、道をつかった何かを極めるために進むという意味合いの言葉は結構ありそうでございまして、王道とかもそうでありましょうか?道はそこを進むものであるということでありまして、決まりきっている、とか、そこをなぞればよろしいということであるのでありましょうか?
軌道が定まっているというならば列車とかもそうであるのではなかろうかなとか、ある意味道ではあるわけでございますし、電車道とかはいうのでありましょうかね、これは強固な道であるという意味合いに、なったりするのでありましょうか?最近では、経済的に困窮して廃線になっている路線もあるようでございますので、ある程度の材料が必要な道であるとか言えたりするのでありましょうか?
対極を成すものが獣みちとか山道とかであるのでありましょうか?進むに苦労するといいますかそもそも道じゃないじゃないかというところまでありそうでありますが、探求するような位置どころの存在からすると、これぞ道であるということになるのでありましょうか?
自分の前にはなく、進んだ後に作られるものが道であるとかなんとかそのような意味合いで使ったりするのでありましょうか、それはまあ自分自身が後進のために道を作っていくとかなんとかの流れであったりするわけでございますが、そちらの方向が正しいかどうかはまた別の問題であったりするのでありましょうかね?
悲劇は善意によって舗装された道によって導かられるとかすすまされるとかなんとかありそうではありますが、つまるところ良いみちであったとしても、それを進むことが正しいかどうかを判断する必要があるのではなかろうかなとか、予想するわけでございますが、せっかく綺麗に作ったのであるから、そこを進んでもらいたいという欲求が、本末転倒な流れを作り出したりもするんだろうかなとか。
道路の敷設計画は、よくよく考えて行わなければならないのであろうかなという予想ができるわけでございまして、ある意味荒野やら山間部を自分一人で勝手に歩いて道を作るというものは、気楽なことであるのではなかろうかなとか、想像するわけでございまして、無責任に進むことができるので、整った道を必要としない、そのような存在もおられるのであろうかなとか予想するわけでございます。
社会全体の効率を考えると、誰かが整えた道がある程度正しいのであれば、そこを進むことが良いとされるのであろうかなとは予想できるわけでございますが、渋滞を起こしたり、工事が必要になったりすることもまたあるのであろうからして、全体的に作られた道を維持管理する技術も必要になってきたりするのであろうかなとかぼんやりと連想しつつ、おしまいです。
「神の道とかもありそうではありますね」
「人の道に反するとか言ったりもしますね」
「御神渡りとかですかな”旦那様”
その道は誰が維持管理しているのでしょうな”奥様”」




