1737_生コーデ、うごうごく。
生体部品で飾り付けとかするような芸術があるとして、それはどの時点で評価すれば良いのであろうかなとかぼんやりと想像するわけございます、一生をかけて芸術を表現するような作品としての生き物とするならば、それはお亡くなりになって始めて完成する、とかになるのではなかろうかなとか、狂気的な思考が近くなってくるような初夏の日差しの中、皆さんお元気ですか?私は元気です、ゴブリン始まります。
ある意味子育ても作品作りと言えなくもないのでありましょうか?今日も元気可愛いですね。
完成を見るためには、作り手の寿命が長い必要があるのでありましょうか?自分自身を作品に見立てるのであるならば、これは完成後の姿を想像でしか味わえないと言うことになりそうではありますが、芸術点の高い人生と言うものはそれはそれで、波瀾万丈であったりして、体験したいものではないのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
それこそ幸せな人生であったと、どこか最後の方で感嘆できるのであるならば、作品としてうまく作れたと言えなくもないわけでございますが、これは心持ちひとつでどうにかなってしまうので、誰にでも作ることができる簡単なものでありますよとか気軽に勧められるかも知れないとか、いやそのように発言できること自体、強者であるという意見も普通にありそうでございます。
客観的に過ぎることは無責任であるとみなされることもありそうではありますので、自身の人生を芸術とか作品とかに例えることは反感を買うのでなかろうかなと言う予想はできるわけでございまして、それは真面目に生きていないのではなかろうかと言う意見が寄せられたりするわけでございますが、芸術は真面目でないという意識があることにこそ問題があるのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして。
気に食わないのは、批判者の意思に沿わない行動をしているからであると言う考えもあり、さらに言うならば、目立っていることが嫌いであると言う思考があるのであろうかなとか、目障りである、意識に上がってきてはいけません、などという意識があるのであろうかなとか、予想できるわけでございます。
気にはなるけれども、意識したくない、そこに思考の資源を割きたくはないけれでも、知らなければ損をした気になるので、情報は仕入れなければならない、流行っているものは、それに迎合しておかなければ安心できない、けれどもそれをすることは苦痛である、となると、まあ、流行っているもの、よく目につくものに、怒りやら、憎しみやら、否定的な感情を抱くことも不思議はないのであろうかなとか、予想するわけでございます。
情報の取捨選択が苦手なのであろうかなとか、絶対に全てを把握することは物理的に不可能であることを、認めたくないからこその暴走とか暴挙であったりするのであろうかなとか、無力感の裏返しが攻撃的意思に繋がっている場合もありそうではあるかな、などと、悲観的、否定的な意見の持ち主を分析してみたりするわけでございます。
それはそれで歪んでいて美しいと申しますか、凶悪的、怪物的な迫力があるとも言えそうではあります。離れたところから観察している限りでは、対岸の火事に例えられるように、見せ物としてはそこそこ楽しめるものであるのであろうかなとか、連想するわけでございますが、飛び火することも多いので、見かけたら適切な対処やら距離をとることをすることが、安全度を上げる技術であろうかな、などと、いつものごとく連想を発散させて、おしまいです。
「神様の像が動くとかもセンセーショナルで受けますね」
「アクアリウムっぽいものを身に纏った方が過去にいましたね」
「大魔神ですか?”旦那様”
コビット19が流行り始めたあたりですな”奥様”」




