1736_とりあえず、海鼠で。
酒精を取ると決めたらならば、最初に頼む飲み物があるというお話を聞いたりしたことがあるわけでございますが、であるならば、定番の食べ物とかもあるのであろうかなとか、専門店に行きますと、これはまあ決まりきった初手があることが普通であったり、さらにいうならば、座っただけで料理が出てくるような、一品しかない専門店とかもあったりするのでありましょうね、とか、ぼんやりと飲食業について連想しながら始まる今日のゴブリンでございます。
それはお酒です。まだ飲むことはできません。また、おいしさがわかるにはかなりの時間が必要だと思われます。今日も元気可愛いですね。
脳の働きを阻害する上に、中毒性があるような嗜好品ではありますが、伝統的に規制されてこなかったものではあります。根付いた文化というか歴史があるものは、多少の不利益やら不健康やらを駆逐する勢いがあるということであるのではなかろうかなという予想ではありますが、徐々に徐々に認識を変質させていくことによって根絶する可能性やら、価値が低くなる流れもあるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
健康に良い酒精とか、煙草とかが開発される方が早いという向きもありそうではありますし、人の肉体の方が進化して、もしくは改良されて、それほどに毒でも大丈夫になってしまう流れもありそうではあります。そこまでして飲みたいのですかという疑問も浮かぶわけでございますが、半ば意地になっているようにも観察できるわけでございます。
油断している姿を相手に見せることができるという利点はあるような気がします、それも気軽にでありまして。飲食を共にしている相手とは喧嘩がしにくいという現象を利用しているのであろうかなとか、予想するわけでございますが、外交の一手段としての飲食は、これはまあ、食を楽しんでいるかと言われると、言葉を濁すことになりそうではあります。
雑念が入ることは人間であるならば仕方のないことであり、普通であるわけでございまして、むしろ一心不乱に食に夢中になる方が稀である可能性が高いわけでありまして、であるならば、それを純粋に楽しむことができるというのは、稀有な才能であるのではなかろうかなとか予想できるわけでございます。
どこまでが余計なことであるのかという線引きは少々難しく、その食材やら調理法の知識でさえ贅肉であるとか、いやこの場合の表現はふさわしくないのであろうかな、とか、贅沢な肉を連想してしまうわけでございますが、とどのつまり、純粋であるならば、その味覚だけにこだわるべきである、とかなりそうでございます。
もちろん五感で楽しむという食事もまた純粋ではあるのであろうなとか、いやさ、第六感やら第七感やら、小宇宙を感じるような心持ちで味わうべきであるとか超人的な展開もあったらいいかなとか、想像するわけでございます。
一方で、その食の文化とか歴史とかに思いを馳せて感動するやり方も、それほど邪道ではなく、むしろ食事に対する態度としては真摯で誠実であるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。ただそれを嬉しそうに語って見せるのはちょっと違うような感触を得たりするわけでございまして。
こんなもので良いのですよ、はそれほどおしつけがまし感じず、良い雰囲気を作るわけでございますが、ここがこうであるから良いとかいちいち解説を入れるようになると、まあ、沈黙食事が受け入れられるようになった、文化を続けた方が良いのではとか、雑な感想を述べところで、おしまいです。
「神の血であるからセーフというのも謎理論だよね」
「百薬の長でないことは証明済らしいですね」
「生き血を啜る連想にはなりますな”旦那様”
水よりは安全という環境なら受け入れられるかと”奥様”」




