1731_強いというとご飯、白米。
おかゆかけご飯という食べ物は、美味しいのでしょうか?食感の違いが結構癖にはなりそうではございますが、わざわざそれをかけるのかという疑問は浮かんでくるわけでございますが、食材の原材料を合わせて食べてみることは実はそれほど的外れな行為ではなく、日本酒とお結びは似合いの組み合わせであることは、結構知られているのではなかろうかなとか、ぼんやりと連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。お腹が空いているのでしょうか?
結構上手に食べられるようになってきましたね。偏食も少ないようでありますし、よしよしでございます。今日も元気可愛いですね。
固いとか硬いとか堅いとかまあ、結構言い方があるようでございますが、強い、これはこわいと読みますが、このように表現するのはご飯くらいのものではなかろうかなとかぼんやりと連想するわけでございますが、怪談の落ちに持ってくるならばこれはこれで結構してやったりかんがあると申しますか、笑い話になってしまうのであろうかなとか予想するわけでございまして、眼鏡のご婦人の感性は実は結構なものではなかろうかなとか、ぼんやりと想像するわけでございます。
なんの話だかわからなくとも何かの本歌取りであるのであろうかなという予想ができると思われますので、その辺りで勘弁していただきたい所存でございます、具体的に知りたい方は、某国民的未来猫型機のお話で最初の方にある怪談がらみのものであるわけでございまして、ちょっと検索すると出てくる、かもしれません。
方言をそのまま駄洒落にしてしまうと他の地域では使用できないという仕様があったりするわけでございますが、そこに解説を入れてわからせると、新しい知識が増えたようになって、お得感が増すのではなかろうかなとか予想するわけでございます。注釈だらけの物語には一定の需要があるのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
それが、作品も面白さを補填していると申しますか、補っていると申しますか、一つの仕掛けとして機能しているやり口もまた楽しいものがございまして、空想科学小説の体を借りて、笑い話を繰り出していくようなお話もまた面白いものがございましたが、昨今ではそのような演出は控えられている、ように観察されるわけでございます。
最も空想科学小説っぽい体裁で発表されるお話が少なくなっているのではなかろうかなという心配もございまして、ましてや、本格的なそれがなくなっているのではなかろうかなという杞憂にまで発展していく卿らも存在するのではなかろうかなとかぼんやりと想像するわけでございますが、比率としては減っているとしても、脈々と受け継がれている作品群はまだ健在であるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
最もそうであったとしても長く休載されている作品の続きを期待してはいけないということではなく、むしろ首を長くして待つことがそれを支え続けてきた愛読者の鏡となるような行動であると言えなくもないわけでございまして、この辺り、熱心な信者がおられることが、業界を支える一つの要因になるのであろうかなとか予想するわけでございます。
ともあれ、寿命が存在することはまたそれはそれで事実であるわけでございまして、どうにかして自分の好きを受け継いていきたいとか、消え去らないように工夫をしたいという気持ちもまた湧き上がってくるからこその、出ないなら、自分で作ってやるという精神につながってきたりするのではなかろうかなとか、欲求に素直になることが、文化保護に必要となるのだなぁ、などと、取り止めもない感想を述べたあたりで、おしまいです。
「生きてさえいればまだ希望が持てたのですが」
「志は同じくしましょう。むしろ受け継ぐ勢いで」
「いつの間にか消えていたりしますな、悲しい話です”旦那様”
一子相伝でなくともいいところが救いですな”奥様”」




