1730_洋梨怖い、最後に何が怖い。
濃いめに入れたお茶がいっぱい怖い、とか言ってしまうと落語になるわけでございますが、ある意味怖がらせるためだけに東奔西走する悪友がいるという環境もまた得難いものではないのではなかろうかなとか、ちょっと人情噺的な雰囲気で語ったりしたりしたわけでございますが、そもそも発端の男が性格が悪く凹ましてやりたいとか思われているところで友情モノではないな、と連想したあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
親友とかお友達とかそのようなものは作ろうと思ってできるものではありませんが、いらないと言っていると本当に出てこないものではあるのではないかなとか思うのですよ。今日も元気可愛いですね。
対人関係が複雑と言いいますか、そもそも対立している関係性しかないようなものであるならば、これは資源の浪費が半端ないのではなかろうかなとか想像するわけでございまして、効率は悪いのであろうかなとか、ただ、全く摩擦がないような関係性であるならば、これはこれで情報の振れ幅が少なく、変化と申しますか、成長に乏しいようなことになる、のでありましょうか?
無関心に近い関係性を構築しているという環境であるならば、これはもういてもいなくても同じとか、刺激を与え合うこともなく、淡々とただ、物理距離が近いだけの何かであるということになるわけでございまして、もしかすると、かえって精神的な負荷が生まれるようなことになる、のかもしれないとか予想するわけでございます。
当然あるような関わり合いが、その距離でないといことに不自然を感じたことによる負荷が生じる、場合があったりするのであろうかなとか、遠慮しているというわけではなく、興味がないということが目の前でわかると、構ってほしいというような欲求が生まれる、こともあるのではなかろうかとか。
それが暴力を伴うものであったとしても安心してしまう、ようなやや歪んだ関係性を構築する根拠になる、のであろうかなとか、寂しいが嫌いとか、そのような感情が根底にあったりするのであろうかな、もしくは自分を見てほしい、無視しないで欲しいという欲求があったりするのであろうかなとか、予想するわけでございます。
一概にそのような感情を持つことは弱い個体であるので、良いものではない、淘汰されるべきものであるという意見も出てきそうではございますが、別にそれが全てではないわけでございまいして、そのような面もある程度のことで全体を否定していくならば、これはまあ、必要個体数がなくなるまでに、減少してしまうのではなかろうかと予想できるわけでございます。
要はその個体、脳みそに、複数の人格が存在することはそれほど珍しくなく、その一部の人格が、社会構成上問題があるとしても、その脳みその持ち主そのものを排除するのはこれは無駄が多いということになる、のではなかろうかなとか、避けなければならない何かを含んだ全体を面倒臭いから捨ててしまう、ようなやり口はやはり資源の浪費が多いわけでございまして。
基本そのような人格があまり目立たないように誘導するとか、捨て去ることは難しくとも行動の基本原理にまで上げてしまわないようにする、工夫とか、誤魔化しが必要になるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、この辺りの客観性の確保と切り替えの技術は、後期的な学習で身に付くものではなかろうかとか、ぼんやりと想像しつつ、まあ、誰が学ばせるのかという話もあるかなとか、ぼんやりと連想しつつ、おしまいです。
「悪縁を断つように進める場合とそうでない場合がありますね」
「一面を見ただけで判断しないは、正しいことが多いですね」
「それが本当に悪縁なのかどうかも含めて検証が必要でしょうな”旦那様”
行動をしてしまう前なら、誤魔化しも効くのですがね”奥様”」




