1720_ほーれんそーを求めるぽぱーい。
そもそもは、野菜嫌いの子供にどう受け入れてもらうかが始まりだったそうではございますが、最近は見ないような気がします。こう人権てきな少数派てきな、人種てきな批判を避けようとしての遠慮であるかもしれませんし、ただたんに流行を外しているからかもしれませんが、頼れる存在としての象徴として、結構良さそうな気はするわけでございますが、どうなのでしょうかね?と適当に疑問を投げかけてみるあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
はい、何かやるときには一緒に考えてやりましょうね?予想外な成り行きも楽しいといえば楽しいですが、程度によりますので。今日も元気可愛いですね。
報告、連絡、相談が、大事でありますよと言う意見には概ね賛成するわけでございますが、それをなせるような環境をまず作らなければならないのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、話しやすい場を用意する必要があるのであろうかなとか、想像するわけでございます。
怒声が飛び交う場所ではそれは間違っても無いのではないかなと、礼儀正しくて、言葉も丁寧で、最後まで相手の話すことを聞いてあげるような、そんな環境が必要であるのであろうかなと。できるだけ公平で、能力の不足からくる失敗を咎めないような流れを作り出してしまうことも大切なのではなかろうかなと。
そこに悪意はなく、ただたんに達していなかっただけのことに、執拗な怒りを感じたり表現することはないのではなかろうかなとか、想像するわけでございますが、意外と難しいのではなかろうかとも同時に想像できるわけでございまして、これはまあ、そのような人格を形成してしまった、以前の環境が悪かったのであろうかなとも予想できるわけでございます。
負の連鎖をどこで断ち切るのか、という意見もござますが、ここから別の規範でうす、とか流れですとか、明確に判断することはこれは難しいわけでございまして、おそらくは徐々に徐々に変化させていくことが、衝突を回避する手段として有効なのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
急激な変化は反発を生むということはこれはまあ確かなことでございますし、健全ではあるわけでございます。今までの内容を全く否定して、違う方向へと突き進み、それまでに積み上げてきた財産的な何かを遺棄してしまうと、それがやっぱり間違っていたとなった時に戻れなくなるからでありまして、安全面を考えると、そうならざるをえない、のではなかろうかなとか想像するわけでございます。
しかし急がなければ間に合わないのではないか、競争に負けてしまうのではなかろうかという焦りとかそのような感情もまた、間違ってはいないわけでございまして、この辺りの兼ね合いが、組織などの舵取りの難しさを表しているのではなかろうかなとか、予想できるわけでございます。
概ね、急いで変化させるよりもゆっくりと、できれば変化を自覚しないくらいな進み方で、行っていく方が、結果的に全体よりよくしていくことができる、場合が多いように観察されるわけでございまして、段階を得て、準々に、広げていく、認識を修正させていくことが、寛容なのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
であるからこその時間稼ぎは有効なのではなかろうかなとか、想像するわけでございまして、真の目的を遂行するための場繋ぎな政策もそれほど避難して良いものではない、のかもしれない、とは想像するわけでございます。結果として手遅れになってしまう箇所もあるなぁという悲しみは、あるので、難しくはありそうでありますが、などと、適当に意見を投げてみて、おしまいです。
「神の名の下に断罪したり聖戦を発動したりすると歪みますよね」
「強権を発動すると、後で苦労しそうではありますね」
「神様が歪むと修正に苦労しそうではありますな”旦那様”
ごまかしであると宣言してのそれならばありかもしれませんな”奥様”」




