1713_猩々の症状で賞状、乙女。
性の乱れを忌避していたのは単なる倫理とか道徳とかのお話ではなくて、群れに感染症が蔓延することを防ぐ役割があった、というか、そもそもそうなるような群れは自然になくなってしまって行ったので、結果としてそのような道徳観念のようなものが確立したのであるとかなんとかそのような記事をどこかで見たような覚えがございまして、なるほどなとか感心した覚えがあるゴブリンが本日をお知らせします。
好意を抱く異性もそのうち出てきたりするのでしょうね、と申しますか、子供の世界でもそのようなものはすでにありそうではあります。異性とは限らないでしょうけれども。今日も元気可愛いですね。
倫理とか道徳とかは結局のところ後付けに過ぎないのですよ、という意見は少々乱暴ではありますがそれほど待ちがってはいない、のかもしれないとか想像するわけでございまして、結果として生き残ってきた群れがやっていた行動を規範とするような、意味合いくらいしかないのであろうかなとか予想するわけでございます。
それは決して高貴なものではなく誠実なものでもなく、ましてや愛情あふれるようなものではなく、もっと合理的で打算的な何かであった、とか断じてしまうと、それはそれでその抑制の効力が失せてしまうわけでございまして、感情で動くのであるならば、それで節制をかけてしまう方が良いのでは、というような発想の表れであるのであろうかなとか予想するわけでございます。
そこまで冷静に客観的に規範を決めて行ったわけではなく、それこそ感情に起因したような流れであったのではなかろうかなとか予想はするわけでございますが、それでうまく行っていきたのでそのまま、となっているのであろうかなと、前例主義が悪いわけではなく、どちらかというと、結果としてそうなったのであって、実は結構綱渡りな社会であった可能性もありそうではあります。
それを決められて、強いられてしまっていると感じたがゆえに、反抗することはままあるわけでございまして、だいたいはそのまま大きな流れに押しつぶされ消え去ることになるか、未来へと向けてある程度の伏線を張れるようになるかなのでありますが、稀に、きっちりと成功してしまって、社会の大転換点になることもあるようでございます。
しかしそれも前提として、熱狂があり、つまりは感情論からの数の暴力が働くことが多いように観察されるわけでございまして、暴力が伴ったりするわけでございます。これは肉体的なそれだけではなく言語的な、思想的な暴力を含むわけでありまして、敵対勢力やら旧態依然の組織やら個人やらを、その意思を翻させることなく、封じ込めたり、圧殺したり、黙らせたりする、様相を意味するわけでございまして。
もちろん歪みが生じるわけでございますが、それは時間が解決してくれることが多い、のではなかろうかなとか想像するわけでございます。少なくとも年代が変われば、印象はかなり減じられてしまう、場合があったりします。逆に要素が濃くなってしまって、さらに過激になる場合もまたあるわけではございますが。
どう転ぶかわからないからこそ、暴力は、それも理不尽に見えるそれは、解決手段としては用いない方が良い、わけでございまして、性急すぎることはよろしくないとされますが、では、今ここで発生している悲劇はどうすればよろしいのでしょうか、ということになりまして、これは非常に対応が難しくなるわけでございます。
基本決まった答えはなく、状況と環境とその歴史ごとに、対応していくしかないわけでありましょうね、とか、無責任に言ってしまって、おしまいです。
「感情を解放することも勧められる行為でありますね」
「暴力を伴わない熱狂がよろしいのでしょう」
「神様関係で熱狂するとろくな結果にならないような、です”旦那様”
熱狂に巻き込まれない権利は認められるべきでしょうな”奥様”」




