1708_モンブランケット、栗毛布、ぬくぬく。
棘が気になる気もしますが、そこは殻をむいておきなさいよと指摘することでことなきをえるのでありましょうか。栗のような色の毛布であるという意味合いであるならば、栗毛の何かに見えるのであろうかなとか、馬の毛並みのような色合いであるのであろうかとか、ある意味旬であるのかどうかとか、いやさ、年がら年中あるものであるのではなかろうかなとか、ぼんやりと連想しながら、いや何の話でしょうね、と肩をすくめつつ始まる今日のゴブリンでございます。
毛布に執着する幼子という意味合いの字句とかあったような気がしますが、お気に入りのものを手放さないということはよくあることであるのであろうかなと、安心するのでしょうかね?今日も元気可愛いですね。
生まれてから長くそれをそばに置いておくと愛着がわくということはこれはあるのであろうかなとか、予想するわけでございますが、よく考えなくともまあ当たり前のことでありまして、幼い年齢があまり加算されていない頃の数年というものは、人生の大半であり、これはまあ、重みが違うのであろうかなとか、簡単に予想できるわけでございまして。
であるからこそ、古くて汚くなっても、安易に処分することは躊躇うのであろうかなとか、どうしてそれを取っているのですか、となりますと、感傷であるということになるのであろうかなとか、ただ価値観を共有してもらいたいという帰属意識のようなものもあるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして。
目の前にはないけれどもどこか探せば出てくるのではなかろうかという安心感は結構重要な要素なのではなかろうかなとか、精神の安定と言いますか、大事にされている、ある意味愛に近い感情を感じさせることができる仕組みではなかろうかとか、想像するわけでございます。
それが稼働することはなおさら良いわけでございまして、郷愁を感じさせる上に、健気さまで追加させることができるのではなかろうかなとか、古い電子機器がまだ通電したらば光を灯すとか、気の抜けた電子音を響かせることができるとか、そのような状況に思わず涙するようん感性もまた、自然なものではなかろうかとか、想像するわけでございます。
実際には内部の回路が古くなっており、短絡からの発熱、発火の危険性がありますので、郷愁に浸っている場合ではないとかになることもあるわけでございますが、そこはまあ、注意して取り扱えばよろしいのではなかろうかなとか、古きを楽しむにはそれなりの苦労が必要になり、ただ、その苦労すら楽しみのうちである、みたいな感じでいくのであろうかなとか。
古いものでも電子的なものを利用していない、単純な構造のものであれば安全である、ということもあって、古美術的な何かに価値を求めることもあるのであろうかなとか、自作の古い油絵を倉庫の隅から見つけてくるような感動は、確かにどこかにあるようなものであるのではなかろうかなとか。
帳面に書き連ねていた古い詩を見つけた時の気恥ずかしさとかも、まあ、定番のものではなかろうかなとも予想するわけでございますが、現代では、すでに終了したweb上の何かに、書き記していた、物語とかが当たったりするのでありましょうかね?もしくは脈々と続いている動画投稿とかの気まぐれにあげたやつを掘り起こしてみて、悶絶しつつ、楽しむような感じでありましょうか?
黒歴史という表現は言い得て妙であるかなとか、ぼんやりと想像しつつ、おしまいです。
「神様の黒歴史とかいうと途端に不穏になりますね」
「科学史の黒歴史とかも同じような感じです」
「迂闊に触ると祟られそうではありますな”旦那様”
知識を得ることが悪であるとされた時代と地域がありましたな”奥様”」




