1706_おれ参上、最初から目と目があったらその場。
縁が出来たらどうだというのでありましょうや?それは柵にしかならないのではなかろうかなとか、いいやそのようなものが絡み合って社会が、つまりは、構造が構成されていくわけであり、集団で生きるということになっているのであろうかなとか。となりますと、柵とかは否定的な意味合いだけで捉えるものではないのではなかろうかとか、ただ、絆もこう拘束するような意味合いであるよな、とか、その手のことがお好きな団体に睨まれそうなことをぼんやりと連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
出会いは大切にするべきであるということはわからないでもございませんが、それはかわいそうでありますので、離してあげませんでしょうか?今日も元気可愛いですな。
社会が複数の人間をつなげて構築されていることはそれほど間違った認識ではないわけでございまして、血を分けた家族からして、これはまあ最小限の柵となる要因であるわけでございます。幼生体である年月がかなり長い生き物であるならば、むしろそれはなければならない要素ではあるわけでございます。
母親がおりそれから生み出されるという構造を持っている生き物でありますので、最低でもその繋がりは、誕生した瞬間から生じるものでありますので、これをなくすることはかなり珍しい流れとなる、ことが多いのではなかろうか、少なくとも少数派に属することになるのであろうなと予想するわけでございます。
誕生後その関係性がどうなるかは、これはまあ多様な場合があるのであろうなとも予想できるわけでございますが、そこに至るまでの流れにおいて、関係性が親子であるということにつきましては、精神的にはともかく、肉体的に否定できる要素がまずないのではなかろうかとか、想像できるわけでございまして。
と、なりますと、縁のない人間はいないということになる、のではなかろうかなとか、最初から縁の存在しない人間はいない、という方が正しい表現になるのであろうかな、とかぼんやりと想像するわけでございます。縁は何のではなく、切れるものであるのかなとも、これまた連想するわけでございますが。
ここで仮に、人工的に、出産、誕生することができる構造が存在したとして、ではそれは最低限の縁がなくなるのであろうかという発想もまた連想することになるわけでございますが、これもまたちょっと奇妙な感覚に襲われるわけでございまして、血縁はないのであろうけれども、縁からは逃れられないという感覚でありましょうか?
つまりは因縁という意味合いで、縁が残るのでないかなとか、存在することに対しての原因がこれはまあ必ず存在するのではなかろうかとかぼんやり想像するわけでございまして、物事には何事にしても原因がある、とかなんとか、言ったりすることができそうでありまして、そのように解釈すると、縁からは逃げられない、のではなかろうかなとか想像するわけでございます。
これは人格によっては息苦しいものであるのであろうかなとか、想像するわけでございますが、自らの意思でもってもどうしようもないというところで苦悩することになり、負担がありそうではあるなとか、想像することができるわけでございますが、そもそもその苦痛もまた縁と申しますか、入力された情報が見せる反響に過ぎないとの発想になったりします。
悩むことすらどうしようもない制御できない流れであるのであるならば、気にしない方がよかろう、とかになると、まあ、達観した気にはなれて楽にはなれる、かもしれません。時間を稼ぎましょう、おしまいです。
「色即是空、空即是色、とか唱えると楽になりますよ?」
「悩むのは無駄ではありません、思考を停止することもです」
「別宗教の教えでもいいところは取り入れるべきですな”旦那様”
思い煩うこともまた次に繋がる要素となる、かもですな”奥様”」




