1702_おっと、誰かが来たようだ、フェイドアウト。
窓に窓に、の有名な台詞がございますが、これは窓から何者かが覗いているのではなく、窓から飛びでて逃げ出そうとしている描写であるという、読み方があるとどこぞで小耳に挟みまして、なるほどなとか、感心したことがございます。文化的な背景が違うと同じ表現でも意味するところが違うと言うことはよくあるのであろうなぁとか、連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
いやまあ、それは共通認識ではなかろうかなとか、しくじってませんかね?明確に?今日も元気可愛いですね。
平和とか人権とか尊厳とか戦争とかまあ、そのような大きな枠組みで議論するような場面とか機会とか状況とかがあるとして、それにはつまるとこここは共通の価値観でありますよと言うところを認識しあってから始めなければならないわけでございまして、そこをないがしろにしてしまうと、これはまあ、ありていに言って碌なことにならない、場合が多いのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
ただ、文化的な価値観の相違は尊重されるべきところもあり、これは実際に行政側としては、集団をまとめるための、もしくは平穏を守るための論理として使用しているところがありますので、他から否定されることはそのまま、集団運営の危機に直結するところがございますので、すり合わせに苦労することもまた当然でございまして。
そのあたりを論理的に時間をかけて、妥協していくことが外交であるのではなかろうかなとか、予想するわえけでございますが、となりますと、その時間を稼ぐごまかしが必要にもなりますよね、などという話題に転換していくわけでございまして、つまりは、軍備とかになるのであろうかなと。
自衛力とか言い換えてもよろしいかもしれませんが、一方が価値観の相違からか財政的なものであるのであろうか、政治的な思惑それもその集団内向けのそれでございますが、その結果として、武力によって他の集団のもつ資源へと侵攻を開始してしまう、流れは、それほど珍しいものではなく、であるならば、それをさせないためにも、備えは必要となるだろうという理屈もまた正しいのではなかろうかなとか予想することができるわけでございます。
互いに必要なものは意見やら価値観をすり合わせる、妥協させる時間でありますので、実を言うと拮抗した軍備であるならば、それほど問題はないわけでございまして、どちらかが一方的に蹂躙できるほどのそれは、むしろ邪魔になるわけでございます。少なくとも昨今ではそのような認識でそれほど間違ってはいないと、予想するわけでございますが。
しかしその武力の不均衡をどう誰が判断するのかという問題もまた同時に存在することになるわけでございまして、第三者が調停にのり出せるかどうかとかも注意点に挙げられるのかもしれません。これもまた公平な順当な説得力のあり実行力のある評価の問題である、のではなかろうかなとか予想できるわけでございます。
均衡を欠いてしまった、ここで行動しなければ一方的に蹂躙する未来が見えて不安であるから、先んじて侵攻を開始しました、これは積極的な自衛権であり、何ら国際的に不義理を働いているものではない、とか何とか、そのように言えそうになるわけでございまして、普通はこの辺りの意見を武力侵攻の前にどうにかこうにかして主張して、互いの価値観のすり合わせを図るための時間稼ぎをしようと、なりそうなものではございますが、いやまあ本当にどうしてこうなった?という感じの意見を無責任に放ちつつおしまいです。
「争いは不毛であるとかも多くの宗教で言っているわけですが」
「システムが正しく機能していないのでしょうかね?」
「無くならない問題であるから指摘しているのでしょうな”旦那様”
運用の問題もありそうではありますな”奥様”」




