1693_にきってお兄さん、ねきって姉。
姉さんとか姉御とかそのような表現をすると、任侠ものになってしまうような感覚があるわけでございますが、姉さんとなると、弟ものになるのであろうかなと、それも軟弱系のそれに近くなるかもしれないと、連想するわけでございます。平坦な呼び方だと、お姉さんになるのでしょうか?そもそも姉で良いのではなかろうかなとか、基本横暴なとつけたくなったりする場合があるのは、そもそも年上の身内が権力を持つような構造になっているのかもしれませんね、とか、まあぼんやりと想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
兄弟が欲しいわけではないのでしょうね?可愛らしい庇護対象が欲しいのであるならば、猫さんでも飼わせていただきましょうか?それはそれで危険かもしれませんが。今日も元気可愛いですね。
兄弟姉妹と、友人の違いは、選ぶことができるかどうかということであるとかなんとか冗談で言われていたりするわけでございますが、実際のところどうなのでしょうかね?親も選べないわけでございますから、肉親というものは良きにせよ悪しきにせよ、関係性が深いと言いますか、離れことが難しいものであるという認識で間違いはなさそうではございます。
幼少期からの付き合いということもあるのでありましょうが、保護者とその周囲という関係性が問題を複雑にしている、場合があるのではなかろうかなと。好悪の感情だけではなく、柵と申しますか、権利やら義務やらが関わってくるのでありますから、付き合いが難しくなる、場合があるのでありましょうか。
無条件に信頼出来るからこその家族ではないかという意見は、ひっくり返すと、そうでなければ、とても疲れるから信用信頼するような関係性にしましょうねというお話ではなかろうかなと、切り辛い関係性であるからこそ、大事にと言いますか、心地よいものにするべきであるという意見ではなかろうかなと。
逆なのでありましょうね、肉親であるから、心を許すのではなく、心をある程度預けあうことができなければ、近くで暮らしていけないわけでございまして、さらに言うならば、それができそうになければ、距離を置くことは何ら不思議なことではないのでありますよ、と。
どちらが効率的か、資源を浪費しないのかの見極めが大事なのではなかろうかなとか、だいたいの育成環境は似通ってくるわけでございまして、そうすると価値観も共通のものが多くなるわけでございまして、確率的に対立が深まるほどには関係性が悪化することはない、のではなかろうかなとか予想できるわけでございますが、そうではなくてよく似た価値観であるから、資源の取り合いになってしまって衝突を重ねることになる、場合もあるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
うまくいく家族の方が珍しいのであるという意見にもある一定の説得力があるわけでございまして、すぐそばに同じ価値観の存在がいて、資源を奪い合うようなことを是とするような状況であるなら、それはまあ、仲が良くなる道筋からは外れようよな、と想像できるわけでございます。
助け合って生きることを美徳とする、そのような価値観を共有している身内であるならば、これはある程度うまくいくのではなかろうかとかは想像できるわけでございますが、そうであるかないかは、結構運によって決まるような現象ではなかろうかとか、予想できるわけでございまして、多少は、幸福の連鎖とかで改善は見込めたりするかもしれませんが、この辺り、意識変質を周囲から促すような、誘導するような構造を構築する必要があるのではなかろうかなとか、ぼんやりと想像しつつおしまいです。
「隣人を愛せよとは、まあ、家族愛も含まれそうではありますね」
「理屈では奪い合うより分け合う方が資源の喪失は低くなりますね」
「夫婦も元は他人でありますからね”旦那様”
争うためのエネルギーを節約できますからな”奥様”」




