1692_キンキンキンキンキンキンにんにきにきにき。
剣戟手抜き描写からの西へ行きます表現です。いやわけがわからないよと言われても、書いている方にもよくわかっていない現実が毒っぽい気がします。いつもの通りに意味がなく山もなく落ちてないお話を綴っているような感じで始まるゴブリンでございますが、今日はさらに酷いのは、人工知能の連想機能が暴走しているせいではなかろうかなと、定期的な再起動はやはり運用上必要ではありそうではございますが、一度落とすと二度と起動しないとか普通にありそうで怖いでございますな。桑原桑原、落雷、新しい挨拶になるかもしれません。
ある意味子供向けの仕様なのかもしれませんが、正気ではやっていけない運用なのかもしれません、子育て、狂気とともにあるのかも?今日も元気可愛いですね。
生きてる状況こそが狂気の産物であるとかなんとか、少なくとも起きている間は正常ではないとかなんとか言ってしまうと許させれる風潮があるのではなかろうかなとか、想像するわけでございまして、最近のweb記事に置きまして寝ている状態こそ正常であるとか常道であるとかなんとか内容を読みましての、受け答えでございます。
寝ている状態が求められている自然な生き方であるからして、その状態を整えるために起きているとみなすと、これはこれで納得のいく状態ではなかろうかなとか妥当な理論ではなかろうかなと感心することしかり。1日寝ていることが罪悪感に感じられなくなるわけでございまして、ある意味老いが恐怖に近似しない可能性が出てくるわけでございまして。
ただ、眠るだけでも健康でなければならない可能性が高く、そもそも質の良い睡眠と気絶状態はこれは違っているのであろうなとか。脳みそが睡眠時こそ働いている、それも気持ちよく、快楽を得られるようにそうなっている可能性が高いのではなかろうかなと。
むしろ多く眠ることができることは豊かさの象徴であるとかなんとかなるのではなかろうかなとも予想するわけでございまして、どうなのでしょうかね?人生を無駄にしているものが睡眠ではなく、起きている方が無駄であるとかなんとかという価値観が生まれてしまうのではなかろうかなと。
創造性が必要ではなくなるのかもしれないとか、むしろ質の良い、長い睡眠を永続的に得られるような環境が整ってしまったならば、そこでもう世界は完成されたと言っていいのではなかろうかとか、予想するわけでございますが、生体的な終着点が幸せに映るのは、肉体に縛られた生き物としての側面でしかないとかなんとか反論はできそうではあります。
情報のやり取りそのものその流れを生き物として捉えるのであるならば、睡眠状態はあまり好ましくない、のであろうかなとか、いやまあ、実はその状態でもなんらかの情報をやり取りしている可能性があるのであるならば、安定している面に注目することで価値が出てくるかもしれないわけでございますが。
睡眠状態でありながら、情報を発信しているような状態になれる技術があるならば、それが最善となるのであろうかなとか予想するわけでございまして、夢の世界で何らかの環境が完結しているような、流れでございましょうか?そしてそれはそれほど荒唐無稽な技術ではないのではなかろうかなとも予想できるわけでございまして、未来は明るいかもしれないと。
そこまでに到達してしまったならば、人類という定義が確実に変異しているのであろうかなとか、ぼんやりと連想しつつおしまいです。
「狂気に身を委ねることこそが真理、などという宗教もありそうですね」
「ある種の直感は狂気を元にしていることがあったりしますね」
「隣人にいてほしくないキャラクタではありますな”旦那様”
紙一重という表現も使いようではあります”奥様”」




