1690_花が鉄でできているなら、混ぜよう炭素。
鉄に炭素を適度に混ぜることで鋼になる、のでしたっけかね?鉄そのものよりも硬くねばりがある物質になるとかなんとか、それがどうしても鉄でありたいのであるならば、その性能をさらに押し上げてあげることが親切というものではないかなとか、余計なお世話であるかもしれない、などとぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
そうですそれは硬くて冷たいですが、熱をよく伝えます。日向のそれはとても熱くなりますので注意が必要ですよ?今日も元気可愛いですね。
鉄の華は、鉄火場を連想させるようでございまして、血と暴力にまみれた界隈を想像させるもの、のようでございます。鉱物な植物はどのようにして成長していくのかとかちょっと気になったりするわけでございますし、実際にそのような生き物が存在する環境とはどのようなものであるのか、思考することは楽しげではあります。
実際に空想科学小説とかなんとか、もしくは漫画とかでは、とんでもない設定の植物が繁茂している世界があったりするわけでございまして、鉄の、と言いますか鉱物由来の植物とか特に珍しいものではない、と観察されます。蓬莱の珠の枝とか有名ではないかなと、そしてあの作品はまごう事なき空想科学小説であると言えるのではなかろうかなとも併記しておきます。
宝石の樹が存在するのではなかろうかと言う想像は、結構早い段階から存在しているのではなかろうかなとか、聖書の一編にそれが編みこまれているような覚えがございますが、もちろんないかもしれないわけでございまして、あっても不思議はないというところがなんとも陳腐な連想であるのかもしれません。
翠玉の原があるとかなんとかはどこかで読んだことがあるようなないような覚えがございますが、それはそれで、歩くと痛そうではあるかなとか連想した覚えがございます。宝石と鉄とではその希少さが違うという指摘もございますが、人の手で作り出すことができる、形をある程度自由に整えることができる、鉄材の方が有用ではなかろうかなという、意見もありそうではございます。
価値をどこに置くのかという問題になるのであろうかなと、希少であるから価値があるという理屈は、それは多くの方に余裕があって、もしくは資源を多く持っている方が互いに競い合うくらいに存在している場合にしか成り立たないのではなかろうかなとか。
もしくは偏在する富の再分配が主眼になっているからこそ、それには価値があるとかなんとかして、交換をしていくのではなかろうかなとか予想するわけでございます。無駄遣いを意味あるものとして捉えるわけでございまして、ある意味、匂い付けと申しますか、演出に近い出費になるのではなかろうかなと。
出し物とか演劇とか、美術品の収集から保存、公開にやり口に近い、資源の流動性があるのではなかろうかなとか、実はそれは無駄遣いではなく、資産が集中しなければできない行動をしてもらっているのではなかろうかなとか、社会全体としてはふさわしいような役割を割り振っているだけなのではなかろうかなとか。
それは義務感からされるのではなく、単純に自慢する自己顕示欲からのものであるとしても、むしろそれがうまく働いた結果の産物ではなかおろうかな、と。承認欲求が適切に働くが故の、文化資産の保護やら発展する道筋が開かれていったのではなかろうかなとか、お上手ですね、世界。素直に褒めたところでおしまいです。
「結果としてうまくいけば神様のお手柄なのです」
「義務感を押し付けるよりはおだてて登らせる方が上手くいきそうですね」
「失敗したら神様の試練とか言っておけば良いですしな”旦那様”
伝説の太鼓持ちが文化を保全したりするのでしょうかね”奥様”」




