1689_しょんなばはな。
口がもつれている可能性はありますね。まさかそんなことがということが本当に発生してしまうことは、これはそれほど珍しくはなく、基本思考に不具合があるからであろうかなという仕様なのかもしれないとか想像するわけでございまして。前後に脈絡がない、と申しますか、直感が飛躍することは、これは脳みその構造上起こりうる現象であるのではなかろうかなと。時系列に沿って論理的に思考が走っていない証ではなかろうかとか、ぼんやりと想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
それが顕著に現れるのが、幼児なのでありましょうか?学習の証としての論理的思考があるのであろうかなと、観察されそうではあります。今日も元気可愛いですね。
長期的な利益を念頭に置いて短期的な不利益を選択するやり口は、これは論理的であるとか、賢い選択であると評価されてしかるべきではあるものの、その一時的な不利益をどう評価するかは、それぞれの立場やら条件やら環境によって変化するものであり、客観視は難しいものがございます。
であるがゆえに、衝突するのであろうなと予想できるわけでございますが、その前段階として、お互いに意見を交換し、妥当できる落とし所を探ることは、これはやっておいたほうが資源の保全につながる、浪費を抑えることになるのではなかろうかなと、予想するわけでございます。
ただ、先に話し合いをしてしまうと、だまし討ちができないという不利益があるわけでございまして。相手の動きを封じるために対話を拒絶するやり口もまた、それほど戦略的に間違っていない、可能生があったりするわけでございます。要はそこまでの信頼関係を気づいていない状況で弱点を晒すことはできない、というような論理であろうかなと予想するわけでございます。
ここで虚勢が必要になるという場合もまたあるのであろうかなと。動かないように対応しないように脅しておいて、弱い期間を乗り切ろうとか、有利な展開へと環境を変容させよう、つまりは時間稼ぎであり、ごまかしである、場合が多いのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
しかし、それが可能であり、想像の範囲であるならば、実行させる未来は常に存在するわけでございまして、そこに人の理性を当てにした仕組みを介在させてはこれは困る結果になる、のではなかろうかなとか予想するわけでございます。狂気は人の常であるわけでございまして、それは脳みその仕様であり、社会的な生き物の性質である、とも言えるのではなかろうかと想像するわけでございます。
損得勘定を客観視して、最善手を打つという意見は希望的観測が過ぎる、となりそうでございまして、ある意味、社会というものは、人間関係というものは、その場の勢いでなされるものである、場合がありそうでございまして、であるならば、できるだけ致命傷になりかねない行為には、それを発生させるに遅延する仕組みが必要になるのではなかろうかなと、予想するわけでございます。
人は必ず間違える、のでありましたらば、その間違いの被害を最小にする工夫を構造的に構築しておくべきでありまして、それが、お役所仕事のような胡乱で迂遠な手づづき構造になっている、のではなかろうかなとか予想するわけでございます。
もっともそれがさらに事態を混迷させる結果になるほどに行き過ぎる環境もまた存在するのであろうな、とか、まあほどほどにすると吉とか、玉虫色の感想を述べつつおしまいです。
「神様が許しませんよとか言われても困るでしょうね?」
「管理者に言いつけてやるという行為には大前提があるわけです」
「神様は常に許す存在であるという言い方もしますね”旦那様”
その管理者が正しく強くなければならないわけですな”奥様”」




