1686_なと、なっとー、納めるお豆。
納豆は風評被害の大きい食品である、とかなんとか聞いたことがあるような無いような気がいたします。消化吸収に優れた発酵食品であることは間違い無い、ようではございますが、別に食べても痩せないわけでありますし、万病に効果ありというわけでも無いわけでありますし、単純に、匂いがきついことが嫌われる場合があることもまた事実であるわけでございまして、個人的には大好きでございます、な、ゴブリンが提供いたします。
子供も結構好きだったりします。ねばねばなのが楽しいのかもしれませんし、柔らかいので食べやすいというところも美点なのかもしれませんね。ああ、口の周りがすごいことに。今日も元気可愛いですね。
消化酵素が働くので、胃もたれがしにくいという利点があるとかないとか、食中毒に強いとかなんとか、血中の活性酸素を減らす効果があるとかなんとか、いろいろと言われているわけではございますが、歴史が長い食物であることは変わりなく、食べ続けられている理由の一つには、やはり身体に悪い影響を及ぼしにくいというところはあるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
基本発酵食品は旨味が増している上に、栄養価が高いという特徴がある、ようでございまして、なるほど、確かにそれが不足して不具合が出やすかった古い時代の人間にとりましては、薬のようなものとして扱われていた、可能性があるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
また、加工する手間暇がその稀少さを押し上げて行ったのかもしれません、苦労した分効果があるのではなかろうかとか、時間をかけた分いろいろ体に良いのではなかろうかという錯覚に近いものが発生している、のではなかろうかなとか想像するわけでございます。
時間の経過による成分の変化が尊いものであるという意見は、概ね錯覚であり、確かにある程度のそれは風味付けとして働いている場合もあるわけでございますが、時間をかければかけるほど美味しくなるという発想は、これは間違いであることが多い、ように観察されるわけでございまして。
遅咲きの、とか、大器晩成、とかは、基本ごまかしであり、早く成る事が良い場合が多いことは、これは確かなのではなかろうかなと、資源の消費が少なくて効果が大きいという、そのような存在やら人材やら方策が、やはり目指すべき道ではなかろうかなとは予想できるわけでございます。
いそがばまわれという言葉もございますが、近道をして成功したことを非難することもまた違うのではなかろうかなと、楽をしたことを咎めるような風潮は、やはり創意工夫をする動因を削ぐことになる、のではなかろうかなとか予想するわけでございます。
安易な力任せの乱暴なやり口であるという場合も、しかしまたあるわけでございまして、この辺り評価が難しくなるところではあろうかなとも想像できるわけでございまして、混同してはいけないけれども、見極めにも技術が必要になるのではなかろうかなとは予想できるわけでございます。
また、小さな資源で大きな結果を得られるという場合にも、元に戻すことが難しいのであるならば、その行為には躊躇が必要であるのではなかろうかなとは想像できるわけでございます。大きすぎる変化は多方面への不具合を連鎖させる可能性がある、のではなかろうかなとか、伝統にはある程度意味があったりする場合もあるのであろうな、などと、ねばねばしつつおしまいです。
「役に立つなら腐敗ではなく発酵、というスタンスは好きですね」
「費用対効果は高いのではとか、まあ、思いますね、お豆さん」
「腐敗の神じゃなくて発酵の神様とかは崇め奉られそうですな”旦那様”
農地改善にも大活躍だそうですな”奥様”」




