1685_コートではお茶会を、港。
湾内に紅茶葉をどさどさといれまくる祭りがあるそうでございます。茶会事件がどうのこうのというお話でございますので、倫敦あたりだと名探偵が登場しそうではございますが、残念ながらBostonでは社会派のようでございます。安易に税金を上げてはいけませんよという単純なお話ではないかもしれませんが、大元は単純そうな気も致します。曰く資源の問題であるとかなんとか。もっとも全てはそこに帰結するという論調も嫌いではありません、などとどこから眺めているのでありましょうかね、今日のゴブリンでございます。
紅茶は早いですね、牛乳を主体にいたしましょう。今日も元気可愛いですな。
お茶というものは嗜好品であるわけでございまして、なくともそれほど困らないのではなかろうかなとか予想するわけでございますが、娯楽と捉えるのであるならばそれを規制されて文句のでないわけもなく。むしろ障害があるからこそのこだわりになってしまう、のかもしれないとか予想するわけでございます。
健康的であるかどうかは、それはもうお茶に含まれる成分によるのであろうかなとは予想できるわけでございまして、同時に量もまた適切である必要があるのであろうかなとも予想できるわけでございます。おそらくは他の食料による食べ合わせなども影響しそうではあります。
体質にもよるのかもしれませんし、体調にもよるのであろうかなとか、効果は千差万別であるかどうかまでは予測できませんが、それなりの振れ幅はあるのであろうかなという想像はできるわけでございます。覚醒作用とかもあるのでありましょうかね?それを見越しての摂取であるのかもしれません。
体力の前借りである場合も多くありそうでありまして、熱量を一息に得ることができるような、飲料という分類もできそうではあります。対人関係の潤滑油としての役割を果たすようなものもあるのかもしれないとか、予想いたしますし、随所で観測されるものではなかろうかなとか、想像できるわけでございます。
昨今会食が感染病関係で難しくなっている中、お茶会もまた減少傾向にあるのであろうかなと、むしろ孤独に楽しむような趣味に変化しているのではなかろうかとか想像するわけでございますが、やはり集団で消費して歓談のお供にしてこそのお茶であるという文化は根強いのではなかろうかなと、これまた予想するわけでございます。
であるならば、これはもう、飲食を伴う茶会は諦めて、他の五感を楽しませる出し物にしたほうがよろしいのではなかろうかなとか、想像するわけでございまして、飛沫を防ぐようにするために、口元を隠すわけでございますが、視覚聴覚は健在であるならば、そこに訴えかけるような娯楽を催して、楽しむわけでございます。
目で楽しむ、音で楽しむような、集まりを中心にした何かを催すと時代にふさわしくなるのではなかろうかなとか、予想するわけでございますが、さらに加えて、香りたつような何かで集まりを演出するとかもありそうではるかなとか、想像するわけでございます。
こう、鼻まで覆ってしまっていますので、それを超えて届くような強い、しかし不快ではないような香りを楽しむ集まりとか、結構楽しそうではなかろうかなとか、ただ、食欲を誘う香りですと逆効果にはなりそうではあるかなとか、そもそも集まるのがよろしくないのではとか、ぼんやり連想しつつ、おしまいです。
「刺激物だとして禁止している宗教もありますね」
「ただの水も捨てたものではないとは思うのですけどね」
「カフェインは確かに強烈な毒に等しい場合もありますね”旦那様”
それを捨てるなんてとんでもない”奥様”」




