1680_らせんの絵、ネジ式。
ひねりこむように胸を穿つ感動を君に、とか広告が出ていたらば、それは猟奇的であるのではなかろうかなとか、連想するわけでございます。少し気になったので調べましたところ、いつもの通りにweb記事の斜め読みでございますが、猟奇の語源は、奇異なるものを渉猟するということであるようでございまして、不思議を求める程度の意味合いであったようでございます。どこの誰だかが、血なまぐさい印象を与え始めたのでありましょうか?などとぼんやり宙を眺めながら始まる今日のゴブリンでございます。
血まみれに見えるのは調味料ですね。赤茄子という言い方をするのですか、初めて知りました。はい、見た目が猟奇的ですね。今日も元気可愛いですね。
猟奇という表現は、少なくとも19世紀中頃くらいには、血まみれとか残虐なとかと同じような意味合いで使われていた単語のようではございますが、それ以前、16世紀から18世紀あたりの文化史でそのように使われていたのかどうかは、はっきりとしていないような印象がございます。
基本web記事を斜めよみしたものでございますので、調査不足の誹りを受けることは否めませんが、どうにも雑音が多すぎまして、検索するに難しい単語なのではなかろうかなとか予想するわけでございます。意外でもなんでもございませんが、そのような奇異な、陰惨な事件を好む野次馬根性的な方々が少なくなく、その結果該当する記事が多くなる、のでありましょうかねとか予想するわけでございます。
陰惨な、とか、血まみれな、とか、残虐な、鬱々とした、救いのない、おどろおどろしい、恨みつらみにまみれた、人肉食が、などの、いわゆる猟奇的な事件を解説する記事は結構な頻度で見つけられるわけでございますが、それがその当時、猟奇という言葉で表現されていたのか?となりますと、途端に精度があやふやになっている、ような印象でございまして。
おそらくは、現存している文献を丁寧に読みたどっていくと、初出に近いものを見つけることができるのではなかろうかなとは、考えられるわけでございますが、それには結構な時間的資源が消費されるであろうかなとか、簡単に予想されるわけでございまして、なるほど、研究の対象となる可能性があるのであろうかなと納得する次第でございます。
語源を辿る研究というものは、これはもう一般的なものでございまして、それほど珍しいものではない、のではなかろうかなとか予想されるわけでございますが、素人が、web記事を検索して答えが出るようなものではない、と言いますか、需要があまりないものでございますので、濃度が低い情報となっているのであろうかなとか、予想できるわけでございます。
また、そもそも語源を辿るという研究自体が、文化的な側面が大きすぎて客観視が難しい、つまるところ、現代言語学の学問とするには対象が曖昧すぎるのではなかろうかという問題もありそう、なのではなかろうかなと予想するわけでございまして、むしろ情報の伝達などの揺らぎを可視化できないという方面へ移りそうではありますので、語源を明らかにするという流れで研究を深める方が少なくなっている可能性もありそうではあります。
わからない判明しない確定できない、ことがわかるということかもしれませんので、話の種、話題、さらなる連想への概念の泉、として扱うことがふさわしいとか言ってしまうと、これはこれで怪異っぽいような気も致します。
「歴史学に近いのでしょうね。神の言葉とかも発見されるのでしょうか?」
「好奇心が疼くので調べます、で良いのではないかと思いますね」
「言葉それ自身に力があるのではという幻想はありそうですね”旦那様”
良いと思います”奥様”」




