1678_キロ単位のち、よ、こ、れ、い、と。
階段の上り下りが捗る季節になりました、いやいつなんでしょうね?黒くて硬くて甘いお菓子が記念日周りでいろいろ売っていまして、楽しくてたくさん買ってしまいました。贈り贈られするやりとりも結構楽しいものでありまして、ちょっとした贈答品で人間関係が滑らかになるなら、良いことなのではないでしょうかとか、まあ、無駄であるから省きましょうとう関係もまた、間違ってはいないのでありましょうかね?などと、行事にまつわる悲哀を思い浮かべながら始まる今日のゴブリンでございます。
子供にこれの食べ過ぎはよろしくない、というようなお話も聞きますので、そのくらいで。いえ、それ以前に大人でも食べ過ぎな量な気がいたしますね、いつの間に……。今日も元気可愛いですね。
貸借りの機微と申しましょうか、何かを送られたということは、親切にされたと同じかそれ以上の印象を残すことができまして、さらに言うならば、それが美味しい食べ物であるとかだと、消えものでございますので邪魔にもならず、壊すことを心配することもなく、安心して消費出来まして、印象に残ることもあるという良いことずくめな感じではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
印象の深さが違うということであるのであろうかなとか、耳で聞く目で見るだけではなく、舌で味わうという複合的な感覚が恩を補強するとかなんとかはありそうでありまして。または、貧困状態であったところを救っていただいたという感謝の念とかもあったりするのでありましょうか?
雪山で遭難しているのではないのですから、そこまではとかはないかもしれませんが、甘い物というものはやはり熱量が高いわけでございますが故に、沁みるのかもしれません、とか予想するわけでございます。発想が補給物質になっておるわけでございまして、ある意味戦時化での救いになってしまっている場合ような気がいたします。
それほど高額なものでなくとも何かもののやり取りをしておくことが対話状態を更新していく、維持していくことにつながりやすいということもあるのであろうかなとか、伝とか協力関係とか、顔見知りである状態を維持するとかそのようなものが必要になっている、社会なのかもしれないとか予想するわけでございますが、貧困はそれを簡単に破壊する、こともありそうではあるかなとか予想するわけでございます。
最初に削る予算が交際費であるとかもしくはそれに近いのではなかろうかなとかは予想できるわけでございまして、年に二回ほど付け届けをする習慣がある地域があったりする場所でも、昨今はおそらくは貧困からそのような風習が廃れてきている、流れになっている、らしいとの噂を聞いたことがあるわけでございまして、そのせいで世の中に緊張感が増している、可能性もあるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
人との付き合いは、これは損得のやり取りでありまして、幾らかの費用をかけたらば、それなりにこなせるものであったわけでございます。少なくとも印象に残る、名前だけは覚えていってくださいね、状態に近いものを維持することができたりするわけでございまして、これができなくなっている可能性があるのではなかろうかな、と。
そのうちに対人関係の技術そのものが廃れてしまって行き、自分のほかに何か考えを持っている人がいることを認識しづらくなってしまう社会とかに戻ってしまう可能性もあるかもしれないですね、とか、適当に考えつつおしまいです。
「汝隣人を愛せよ、もしいるのならば、とかになりえますね」
「物品のやり取りはトラブルの元と一律に禁止している弊害でしょうね」
「いても気がつかない場合はありそうですな”旦那様”
高価ではないもののやり取りは練習として良かったのでしょうね”奥様”」




