1673_どしー、どし難し、どひゃぁ。
土砂降りとかの表現が元なのでありましょうか?どひゃぁとか。弩級の、ど、が元であるという説もありそうではありますが、ひゃぁ、は単純に悲鳴の文字化なのでありましょうかね?うひゃぁとかもありそうではありますが、現実にそんな悲鳴をあげる方おられるのでしょうか?冗談でそうする方は結構いそうな感じではございますね、などとつらつら益体も無い事を連想している今日のゴブリンでございます。
どこから声を出しているのであろうかと言うような発声の悲鳴は幼児にはつきものですよね。通報されそうになるかもしれませんので、お控えください。今日も元気可愛いですな。
うれしい悲鳴なら、素っ頓狂なものも許されるのではなかろうかなとか、しかしこれは困っているからこその嬌声であるのであろうかなとか、予定通りに捌けないからこそのそれであるならば、それは本当に嬉しいのであろうかと言う疑問が巻き起こるわけでございまして。
過ぎたるは及ばざるがごとしとか言ったりしたりするのではなかろうかなとかの格言っぽいものを連想するわけでございますが、困っていることは困っているけれどもその分利益が出ている、それも予想外にそうであるからこそ喜んでいるということであるのであろうかなという想像はできるわけでございまして、その後に響いたりするのではなかろうかなとか勝手に心配になったりもするわけでごございます。
嬉しすぎて、大きな声が上がってしまうということはまあ、あるのであろうなと、実際に観察できるものであるかなと、予想できるわけでございまして、こう、体を動かす方のほうがその傾向が強いのであろうかなとか、まあ、肺活量の問題であるのであろうからそうであろうなとか、弱い体の方は、そもそも大きな声が出せないという性質があったりするのかもしれないとか、連想するわけでございます。
限界であるから変な声しか出ないという例もあるようでございまして、感極まってそうなってしまうとかなんとか、感情が上手く処理できないわけでございまして、それはそうなってしまった本人がただたんに未熟であるのか、それほどの反応を引き出した対象が素晴らしいのか、おそらくは程度にもよるでしょうが、双方に原因があるのであろうかなとか、普通に連想するわけでございまして。
未知との遭遇とかがそれにあたるのであろうかなとか、いやさ、既知でも実際に生で会うとその衝撃は如何ともし難く、どのような装甲で持ってしてもいなすこと敵わずとかなんとかそのようなものであるのであろうかなとか、これは心の動きなのであろうから、なかなか意図するようにはならないのであろうかなとか想像するわけでございます。
それを求めるのかと尋ねられたならば、如何なのでしょうかね?感動すると申しますか、心震わせる何かが欲しいという、そのような本能的な欲求なのでありましょうか、文化的な欲求なのかもしれませんが、それを無条件に多くの方が求めている、のでありましょうか?中にはただただ静かに過ごしたい、情動を揺らすことが苦痛であるという方もおられる可能性はないとは言えないのではなかろうかとか、予想するわけでございます。
であるならば、そっとしておいた方が良い場合もあるのではなかろうかとか、寂しいことに価値を持つ方はやはりおられるわけでございますし、むしろそれはそれで尊い感情であるのではなかろうかなとか、まあ、いつもの通り、突散らかしておしまいです。
「神に対しての熱狂は功罪ありますね」
「知的な発見に対しての興奮は見た目静かではありますよ」
「罪深い方が目立っている可能性が高いですな”旦那様”
派手な演出は後世の捏造だったりすることが多いようですな”奥様”」




