1671_太刀が悪い、妖刀、ムラサマブレード。
兵器に妖刀の要素を注入して、能力を上げるのであるけれども、使いたくなってしまうという不利な特徴をも持たせてしまうという設定をどこかで聞いたような聞かなかったような覚えがあるのです。所持していると使いたくなってしまう高性能の核爆弾とか、危なすぎて困るのではなかろうかなとか。妖車でも似たようなものでありましょうか、こう、突っ込みたくなるとかくわばらくわばら、な文言を唱えることで厄を祓いつつ登場する今日のゴブリンでございます。
節句というものがある文化圏がございまして、子供がある年齢に達すると祝うものに通じたりこじつけたりするそうです。別にいつやっても良いのではございませんかね?今日も元気可愛いですね。
それが手元にあると使いたくなってしまうという欲求は、それほど不自然なものではないのではなかろうかなとも予想するわけでございます。何とすればそれは自分の地位を高める、もしくは維持するための演出としての使用であると言えそうでございますからで。
これだけの財力があるのですよ、威力を持っているのですよ、影響力を見せることができるのですよ、と周囲に示すことによって安全を買うとか、生存戦略に沿った動きなのであろうかなとか予想するわけでございます。こちらを脅かすならやってやりますよ、からの、本当にやってどうするのですか、的な流れになる可能性も高そうではございますが。
はったりであるのであろうかなとも、威嚇に近い行為なのであろうかなとかそれを周囲に示す行為のことでございますが。ただ、自分だけでひっそりと何か使ってしまうとか、隠れてそれを為す、などという行為もまたやられる方が存在するように観察されるわけでございまして。
これは自分自身を鼓舞しているのであろうかなとか予想するわけでございまして、これだけのことを自分はできるのであるという、それを目に見える形で示すことによって、生きていくことができる、もしくは楽しくなる、のではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
苦しくて辛くて悲しいだけであるならば、これはまあ、生きていく元気が湧いてこないわけでございまして、そうならないように自分自身を慰めていたり、楽しませたりする、必要があるのであろうかなとか、ええといやそれは逆で、そうできなければ生き残ってこないだろうから、結果として、そのような自己満足をやってきた方々が、生存しているのであろうかな、と、言えそうではなかろうかとか想像するわけでございます。
それが必要であったかどうかは関係なく、その時々の感情を、肯定的なそれを手にいれる、そのためだけに何かをなしても許される場合がある、のではなかろうかなとか、それは結果だけを見ればそうなっているだけの話とも言えるわけでございますが。
だとしても、そこに救いがあることを否定しても、やはりこれは建設的ではないのであろうかなとも予想するわけでございまして。やってしまったのであるからもうどうしようもない、とかいうような諦めにも似た肯定感がそこには現れる、可能性が高いのではなかろうか、とも。
無責任であるという意見は多分正しいわけでございまして、だからこそどうにかなってしまう流れもあったりするのであろうかなとか、これまたそそのかしてみて、おしまいです。
「神様に全部責任を放り投げてしまうという究極の無責任とか」
「ある程度は見切りをつけなければ何もできないというのはありますね」
「誰にも文句は付けさせないという強い意志を感じさせますな”旦那様”
妥協の産物であることには違いないわけです”奥様”」




