1656_念じろ、詠唱、ささやき、戻った?
古典芸能ですね。おおっとで終わると残念を通り越して虚無になったりするわけでございますが、遊んでいる機体によっては全て終わりになってしまう可能性も高いので洒落にならないのでありましょうか。本当に終わってしまう設定もあったりしますので、刃傷沙汰に発展する可能性もあったりするのでしょうか、落ち着きましょう、たかが遊びですよ?逆にであるからこそ本気になるのでしょうか?仕事じゃないんですよ、と。どこまでが常識なのでありましょかね?とか考えにふけっている今日のゴブリンでございます。
多分いつも真剣であるのであろうかなと。遊びとそれ以外が区別されないのでしょうかね?今日も元気可愛いですね。
人生は遊びである、とか言い切ってしまうと語弊がありそうではありますが、楽しまなければ何の生か?という言葉にも一定の理解が求められるのではなかろうかと、想像するわけであります。真面目に生きているなら遊んでいる暇はないはずであるという意見もまたあるわけでございますが。
息抜きの合間に人生をしているのではなかろうかと言われて、なるほど上手いことを言う、からの褒めていません、までが一揃いの流れになるのであろうかなとか、基本ふざけているように見える人格がそばにいると不快になる層は一定数存在するわけでございまして、これは、群れの中で役目を果たしていないという不満があるのではなかろうかなと。
生存戦略的に無駄は省くべきであるという論理が働いてしまうのであろうかなとか予想するわけでございますが、それを余裕と捉えるように働かない環境であると、結局のところ危機に弱い群れとなり、他の群れに淘汰される、場合もあるのであろうかなと。
不真面目に見える、おふざけが過ぎる存在が許容される社会として今現在生き残っているのであるならば、それなりの理屈が存在するのであろうかなとか、つまるところ結果としてそれらの性格が、人格がある群れが生き延びてきているのであるならば、必要であったのだろうと予想することができるわけでございまして。
もちろん全ての構成員がそうであれば良いというものではないという理屈もわかるわけでございまして、不真面目しかいない群れが現状存在しないという結果からも、証明されている、もしくはされつつあるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
つまるところ、流行りの多様性というものであるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、目の前の合理性やら効率やらを突き詰めていくことが実は間違いであったのではなかろうかという理論を補強していくものであるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
結果を示せというならば、実はすでに出ていると、応えることができるのではなかろうかなと。なぜならば、人種族はまだ滅びていないからでありまして、そうなのであるならば、この真面目不真面目割ありは適度なものであったのではなかろうかという推論が成り立つわけでございます。
明確に全人格の何割が突飛な行動を取っても良いのかと、決めつけることはできないわけでございます、なぜならば、それは環境やら状況やらで常に変異している部類のものであり、まあそれはこれだけに限らないわけでありますが。未来予測は難しく、ほぼ無理であって過去に遡ってからしか答えがわからない、のではないかなと、まあ、暗中模索で行くしかないならば、笑は絶えさせない方が気楽でよろしいのでは?と適当なことを言いましておしまいです。
「神様と対決するシナリオとか好きですね」
「確率計算がおかしいのじゃないかなと思ったことは多いです」
「それでいいのですか宗教者として”旦那様”
印象の問題なのでしょうね、むしろ心理学の分野では”奥様”」




