1655_わくわくさんが作るものが概念。
場面とか劇場型の行動とかそのような映像がwebを流れていました。教育番組の登場人物がそれとは少しずれた行動をする様を面白おかしく描写する伝統芸能が存在するようではありますが、この辺り不謹慎なそれも多いように感じるわけでございまして、どこまで精神の固まっていない幼児などに見せるべきか苦悩する、方もいたりするのであろうかなとか、全面的に禁止しましょうとかすると、逆に歪んでくる可能性も高いでしょうね、などとぼんやり想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
この動画は少しあなたには早いような気がします。面白さがわかるなら、怖いまでありますね。今日も元気可愛いですね。
健全な青少年を育成するために注意するべきことがあるのではなかろうかと云う意見はそれほどおかしくはないわけであります。けれどもどれをどれだけ規制するのかと云う判断はこれは本来かなり難しいものであるわけでありまして、ひとつ間違えると国家やら権威による情報統制からの洗脳になりかねないというものがあるのでは、と予想するわけでございます。
もしくは忖度することによって自主的に社会がそのような風潮に陥ってしまい、表現の自由を奪ってしまうのではなかろうかと云う流れもまた、あるのではと観察されるわけでございます。どこぞの誰かがおっしゃっておられましたが、自分には関係ないからと規制の流れを放置していると、いざ自分に関わるそれが現れた場合に一緒に抵抗してくれる仲間がいないか、かなり少なくなっている、場合もございますよ、ということは、普通にありえそうではございます。
そこに正義があるのかどうかというよりも、その正義は必要なのかどうか、独善に過ぎるのではないかどうかという自問自答は常に必要であるのではなかろうかと云う思考は、独善的な正義をなそうとしている方々の中に発生しない可能性が高い、と申しますか、それがないからこその独善発現であるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
それは善意であることには違いないわけでございますが、結果的に社会が悪くなる可能生もあると云う事を失念しているのではなかろうかなと。良いことをしているのであるから、結果も良いものになるはずである、という盲目的な信頼感が存在するのであろうかなとか、予想するわけでございます。
一面でしか捉えていない、想像力が足りていない、もしくは追い詰められているように感じて何か焦っていて、行動が拙速に過ぎるという可能性があるのではなかろうかなとは想像するわけでございます。考えてばかりでは何も変わらない行動しなければ、は一見正しそうに見えて、実はのちに修正が必要になることが多く多量の資源を浪費しかねない、場合もありそうではあるかなとか予想するわけでございます。
しかし未来を完全に予想して準備万端を極めてから行動しようとしても、状況環境が変化していき、対応がが出来かねない場合もまた多い、ように観察されるわけでございまして、これは見極めができないのでやりながら対応しようとなることも決して間違いではない、場合も多いのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
周囲にこれここれこう言う理由で拙速に行動しているのですよ、と、宣言しておけばいくらか摩擦が減るのではなかろうかなとか想像できるわけでございますが、それに伴う責任はどうするのですかという意見に腰が引けてしまう現状もまた想像が容易であり、この辺りへの対応手腕が技術の見せ所なのであろうかなとか、ぼんやりと想像しつつ、おしまいです。
「すべて神の御心ですとか言っておけば大体なんとかなりますよ?」
「失敗することを前提に行動することを許す風土を構築する必要があります」
「ある意味究極の無責任社会ではありますが幸せそうではありますね”旦那様”
うまくいけばもうけもの社会は優しいと思いますね”奥様”」




